きみの髪に照り返す太陽









つけられている、という疑惑が確信に変わったのは、つい昨日のことだ。
一週間ほど前から金髪の男がおれをつけている。
つけられるような真似をした記憶はとんとないのだが、
つけてくるだけで今のところ無害なのでどう対処すべきかと思案に暮れながら、
とりあえず放っておいている。
ちらちらと様子を伺ったところによると、とりあえず危ないやつではなさそうだ。
細身の体つきだし、もしものことがあってもこいつなら充分押さえ込めそうだった。
自宅であるアパートに近づいたので、勢いよく、男のほうを振り返ってみた。
男はもともとこそこそついてきていたわけではなかったので、
ぎくりと効果音が立つくらいのリアクションを見せてから、
あわててその辺の電柱の陰に身を隠した。
あほか、と思った。
それでもゾロが進めばついてくる。
ゾロがアパートの階段を上る頃には、
金髪はアパートの門の辺りにはりついてこっちを見ていた。
夕日が金髪に照り返してちかちかしている。
一瞬、目が合ったけれど、ほんとうに一瞬のことだった。
部屋に入ってからまずかったか?
と思ったがそんなことよりもまず先に眠ってしまいたかった。




次の日も、同じように金髪はおれのあとをつけてきていた。
今日、気付いたことがある。
このストーカーは朝、おれが家をでたところから15分くらいの橋までついてきて、
帰りもまた同じように橋から家までついてくる。
橋からまた5分くらいの駅やその先の大学まではついてこないのだ。
帰りについてきた家の前で一晩過ごしているのかどうかは知らないが、
雨が降ったらどうするんだろうとのんきに考えた。
気味は悪いが実害はないし、昨日一瞬だけ合った目はまるでこどものようだった。
なんとなく、放っておいて平気だろうと思えた。
橋のふもとの川原にはアヒルが数羽いて、ぎーぎーがーがーやっていた。
こんな汚い川でどうやって生きてるんだろうと不思議だったが、
きっと誰かが餌をやっているんだろう。




その次の日は雨だった。
傘を差して歩くのが面倒だから雨の日はきらいだ。
昨日雨の日あの金髪はどうするんだろうと考えたが、
今朝の様子を見ると雨の日は来ないようである。
たかだか一週間ほどぶりなのに、とても久しぶりに一人で橋までの道を歩く気分だ。
橋の上は風が強くて、傘がばさばさと煽られるのを支えるのが億劫だ。
ちらと川のほうを見ると、アヒルが一羽だけ、増水した川の水面に浮かんでいた。
他はどこかへ行ってしまったようで、川原にも姿が見えなかった。




その日は講義が終わるのが早くて、いつもより早く帰途につくことができた。
まだ雨が降っている。
朝よりも酷い降りだ。
まだ時間は4時くらいでしかも季節はもう春なのに、
雨の日は夜の暗さになるのも早い気がする。
橋を通り過ぎたあたりからも、しばらく歩いても、まだ後ろに金髪がいる気配はしなかった。
雨の日だからいないのか、それとももうおれのことをつけるのをやめたのか、
どちらかはわからないがやっぱり無害そうでもストーカーなんて気味が悪いからありがたかった。
そう思ってふと振り返ると、橋のところで見たアヒルがいた。
アヒルの羽毛がうっすらと金色に見えて、あわてて目を擦ると、
今度はふつうに表面に雨の水滴をつけた白灰色に見えた。
ほっとけば川原に帰るだろうと思っていたアヒルは、きっちりおれのアパートまでついてきた。
階段のところまでついてきて、階段はさすがに昇れなかったらしく、
段下でばたばたともがいている。
おれが故意に連れてきてしまったわけではないが似たようなものだし、
こんなところにほっておくわけにもいかない。
だからといってこの雨の中、アヒルをつれてもう一度橋までの往復をする気にはなれない。
考えるまでもなかった。
登りかけた階段を下りて、濡れたアヒルを抱き上げた。
アヒルは思ったよりも軽かった。




濡れたアヒルをとりあえず適当にタオルでふくと、風呂場につっこんだ。
ユニットバスはそろそろ大規模な掃除をしようと思っていたから、
下手に部屋に入れておいてそこいらを汚されるよりもよっぽど都合がいい。
ユニットのドアを閉めて一息つくと、自分も濡れていたことを思い出して寒さに身震いした。
雨に濡れた肌はすっかり冷えてしまっていた。
濡れた服を脱ぎ捨てて風呂場に入り、
湯船の中で居場所なさげにしているアヒルを便器の上に置くと、
シャワーカーテンを閉めて暖かい湯を頭から浴びた。
そのときアヒルが派手に暴れたらしく羽音やらぎいぎいいう鳴き声やらがうるさかったが無視した。
体をすっかり温めて服を着てしまってからふと思いついて、湯船に適当に水を張り、
そこにアヒルをつっこんでやるとその上で少しの間おとなしくしていた。
アヒルがどこで寝るんだか知らないが、水があった方が落ち着くんじゃないかと思ったのだ。
シャワーカーテンは開けたままで、ユニットのドアだけ閉めた。
また自分は腹が減っていたことも思い出して夕飯を何か食おうと思った。
アヒルは何を食べるのか知らなかったし、
一日くらい食べなくても平気だろうと思ったから放っておいた。




そろそろ寝るかと思ってテレビを消すと、コツコツという硬質な音が聞こえた。
なんの音だろうか、ああアヒルか、とすぐに気付いた。
はじめは無視を決め込んでいたがあまりにもしつこくその音がするから、
仕方なくユニットバスのドアを開けると、アヒルは中から飛び出してきやがった。
のろまそうな姿のくせに部屋の中を駆け足で逃げ回るアヒルの姿は滑稽だったが、
ここを荒らされてはたまらないので障害物の多い狭い部屋の中を必死で追いかけた。
やっと捕まえたときにはすでに息が上がっていた。
なかなかこいつはすばしっこい。
おれに捕らえられて、もっと暴れるだろうと思ったアヒルは、意外にもおとなしくしている。
そのままベッドにぱたりと倒れこんでアヒルから手を離すと、アヒルも隣に座った。
アヒルの羽毛はつやつやしていて、やっぱりまた金色に見えた。




そのまま眠ってしまっていたらしい。
幸い今日は講義はないのでこのへまには実害はなかった。
ほっとして起き上がると、寝付いたときにはそばにいたはずのアヒルがいなかった。
ぐるりと部屋を見渡しても気配はない。
おかしいな、とベッドを降りると、今までに感じたことのない感触が足の裏にあった。
「ギエー」
今まで自分の部屋ではおおよそ聞いたことのない音を聞いた。
足元を見ると、例の金髪のストーカーがそこに横たわっていた。
おどろいてそいつをふんずけたままあとずさるとすぐにベッドにぶつかって、
どんとしりもちをついた。
金髪が目を開けて起き上がった。
「ぞろーおはよう」
金髪はどこか舌足らずに言った。
とにかくびっくりして、混乱した頭でそうだアヒルはどこにいったんだ、
とあわてて部屋中を探した。
ユニットバスの中にも、台所の棚の中にも、ベッドの下にも、本棚の上にも、
アヒルはいなかった。
おれがアヒルを探している間、金髪はうれしそうにおれのことを見ていた。
ので、もうこれ以上アヒルを探す場所がなくなったとき、目があった。
「ぞろ」
「・・・・・・お前は誰だ」
「・・・おまえはだれだ?」
聞き返されてしまった。
金髪は首を傾げている。
「名前、とか」
「さんじ!」
今度は元気よく答えた。




この現象を誰かに説明して欲しい。
「さんじはぬれるともとのすがたになっちまうんだ」
心底嬉しそうな、落ち着かない様子で上下に体をゆすりながらサンジは言った。
信じたくない。
確認したくない。
「ぞろがねてるあいだにぜんぶかわいたから、またにんげんになったんだー」
なんと答えていいのかわからない。
とりあえず朝食を摂ることにした。
冷凍庫からこの前炊いて冷凍しておいたご飯を取り出して電子レンジに突っ込んだ。
その間、サンジはずっと興味津々といった様子でおれの手元を覗き込んでいた。
「お前も食うか?」
「くう!」
茶碗はひとつしかないのでサンジの分は適当に皿に盛ってやった。
それにしそわかめをかけて食べる。
サンジは箸を出してやったものの使い方がわからないようで、
必死でおれの真似をしようとしている。
その一生懸命な姿は成人した体に似合わずこどもそのものだった。
結局米粒をこぼしまくり、服につけまくって、
皿にあった半分も口に運べたかはあやしいというさんさんたる結果であった。
それでもサンジは満足そうであった。
昨日と打って変わって今日は天気がいいので、
二人して太陽の光を楽しみながら窓際でごろごろとして楽しんだ。




そのままなんとなくサンジはおれのうちに居座り、おれもなんとなくサンジが居座ることを許した。
例えば食事に代表されるのだが、サンジが出来ないことは多かった。
それもどうせアヒルだし、と思えばかわいいもんだった。
ときどきサンジは水に濡れてアヒルになったが、
おれはアヒルになる瞬間も、人間に戻る瞬間も見たことがなかった。
見たくもなかった。
そんまま何日間か過ぎ、ふと思い立っておれはサンジに質問をした。
「そうえばお前、何でおれのことつけてたんだ?」
「・・・いつ?」
サンジはもともとアヒルの脳みそなので、わからないことが多い。
「こういう風におれのうちに上がりこむ前」
「つけてた?」
「おれの後ろからくっついて来てただろう」
「あー。」
ようやく思い当たったようだ。
こいつと話すのも楽じゃない。
目的のある話をしようとすると骨が折れた。
「すきだから」
「は?」
「さんじはぞろがすきだから。だからみてなきゃいけなかった」
絶句した。
「ずっと」
サンジの表情をみれば、いつものまぬけ面がほんのり赤く染まっていた。
「おいっ・・・」
あとずさっても、もう遅かった。
サンジはおれにのしかかってきて、さける間もなく唇を重ねられた。
ちゅ、ちゅと音をたてて、なんども触れるだけのキスを。




こんなことをされて、出て行かせることは簡単だった。
押し倒されてキスをされたが突き飛ばして押さえ込むことは容易かったし、
そもそもこいつをわざわざおれの家においておく理由など何もなかったのだから。
けれどおれはそのままサンジを居座らせ続けた。
「ただいま」
「おかえりぞろー!」
家に帰り扉を開ければサンジは待ち構えていたように目の前に現れる。
狭い部屋の中、おれについてまわっては、
やることなすこと全部を珍しそうに目を輝かせて見ていた。
サンジのお気に入りはテレビと食事で、一番びびっていたのは歯磨きだった。
当然だろう、棒を口の中に突っ込んだと思えば泡まで吹き出すのだから。
しばしば好きだのなんだの言って困らせることもあったし、
同じように押し倒されることもあったが、
おれのほうが明らかに力が上で特に問題にするほどのことはなかった。
ペットにしてはタチが悪かったが、徐々にサンジが生活の一部になっていた。
サンジの仕草やおれの行動に対する反応はいちいち幼くてこどものようだった。
それを自然に好もしいと思える自分がおれには不思議でたまらなかった。
けれどそんな疑問も、サンジの姿を見ればすぐに吹き飛んでしまった。




「ねるのか?」
「寝る」
「じゃあさんじもねる」
サンジがおれのうちの転がり込んでからひと月くらいたったある日の夜、
おれがベッドにもぐりこむと、同じようにサンジは布団の中にすべりこんできた。
男が二人で寝るのにはシングルベッドは狭いが、相手がこいつなら別に構わなかった。
「ぞろはさー、なんでいいの?」
「何が」
「うー・・・あ、さんじがーぞろのうちにいて」
「さあな」
寝返りを打って背を向けた。
サンジは追ってきて、おれの体にのしかかり、顔と顔を近づけて尋ねてきた。
カーテンの隙間からこぼれる光だけがたよりの暗い部屋の中でも、
金髪はぼんやりと輪郭を見せていた。
「すき?」
「・・・・・・・」
「さんじのことすき?」
「・・・まあな」
結構気に入っているのは事実だから、正直に答えた。
とたんにサンジに満面の笑みが広がったのが暗闇でも見える。
「さんじもぞろがすき!」
「お、おい」
アヒルがくちばしでつつくみたいな仕草のキスを、顔中にされた。
サンジの唇はそんなに柔らかくなかったが、何度も金髪が頬を撫でるのがくすぐったかった。
「やめろって」
口ではそう言ってみたものの、我ながらちっとも本気じゃないのが見え見えだった。
こういうのをなんと言うんだか知らないが、とにかくサンジは無邪気でかわいい。
いや、無邪気とも言い切れない部分はあるが・・・。
「ぞろー・・・すき」
おでこやほっぺたにばかり触れていたサンジの唇が、おれの唇に重ねられた。
今までのそれとは違ってぴったりと押し付けられ、上唇をちゅうと吸われた。
おれが抵抗しなかったら調子に乗って、唇の間から舌を割り込ませてきた。
サンジの舌はとても熱くて、おれの全身は痺れて、眩暈がした。




そこから先は記憶が無い。
目が覚めるとおれは裸でベッドに入っていた。
のろのろと体を起こすと腰に鈍い痛みが走り、全身が筋肉痛でぎしぎしいった。
サンジはいなかった。
探す気力もなくてごろごろしたまま眼を瞑り、
気配を探ったがやっぱりサンジはいないようだった。
「サンジ?」
おれの声だけが空しく、けだるく響いた。
その日は講義をさぼって一日ベッドの中で過ごした。
出来る限りの布団をかき集めて体の上に掛け、うつ伏せにまるまった。
そうしないと、凍え死んでしまいそうな気分だった。




次の日、ドアノブはかろうじて開けられたものの鍵の開閉は出来なかったサンジが、
どうやって出て行ったのかと部屋を点検すると、
以前から鍵が壊れていた所為でサンジでも簡単に開けられそうな台所の窓が開いていた。
どうやらそこから出て行ったようだ。
風通しが妙に良く、その所為で昨日は寒かったのだろうにちっとも気がつかなかった。
金色のなくなった部屋の色は、春の日差しを持ってしても冷たく感じられた。
サンジがいなかった少し前と同じはずなのに、どうして違う風に見えるんだと、
答えを知っている疑問を自分に問いかけては腹を立てた。




駅に向かう途中、橋の上から川原を見下ろすと、
この前まで数羽いたアヒルは相変わらずそこにいた。
けれどもちろん金色に見えるアヒルはいなかった。
サンジはそこに含まれていない、そんな気が、した。
単なる直感だけれど、自分のそれは信用に値するように思えた。
帰り道も、自分でもどうかしてると思いながら、何度も振り返りながら歩いた。
そこに金髪が見えることを期待して。
夕日は赤く輝いていたが、それを照り返す金髪はどこにもなかった。
金色のアヒルもどこにもいなかった。




自分でも理由のわからない感情がこみ上げてくる。
ドアが壊れるんじゃないかって程乱暴にアパートのドアを閉めた。
部屋には誰もいなくて、おかえりの声もしなくて、言いかけたただいまが喉に張り付いた。
無性に喉が渇いた。
台所に手をつく。




乾いたシンクにはサンジの金髪が数本落ちていた。
それを拾って、指先に絡めて弄んだ。
くるりと指先に巻きつけると、すぐにぴんとはって指から落ちた。
それをセロテープで本棚の側板に貼り付けた。
それきりサンジのことなど忘れてしまっていたのに。






金色のアヒルがふたたびおれの前に現れたのは、
春がすっかり終わってタンクトップの腕を太陽がちりちりと焦がすようになった頃だ。
むき出しの日の光にさらされる橋の上を通り過ぎたあたりで、
いつも聞くそれとはちがうアヒルの鳴き声がした。
本当はただぎーぎーと鳴いただけだったんだろうと、そう思う。
けれど間違いなく、おれの名前を呼ばれた、そう聞こえた。
「ぞろー」




振り返れば、真夏の夕暮れの強い日差しを照り返す金色が目に痛い程だった。
おれは手を伸ばすと、やっぱり金色に見えるアヒルをしっかりと抱きかかえた。







さんじの「ギエー」おきにいり。
わたしもサンジをふんずけてギエーって言わせたい。
ストーカーアヒルサンジ→ゾロ。やりたかったことはこれだけ。