あなたとふたり、朝露のように
「・・・ロ、ゾロ」
澱んだ部屋の中に入り込んできた違う空気を感じてまぶたを開けると、サンジの顔があった。
「ん・・・・・・」
眠れない上、眠る気にもならなかったから、畳の上に座ったままぼんやりとしていた。
サンジにされたことの意味を考えようとすると、突然脳が思考をやめてしまう。
それでもなお考えようと綿菓子のような頭で奮闘していた。
そのままいつの間にか眠っていたようで、布団でない場所に横になっている。
おかしな姿勢のままでいたせいで、立ち上がると関節が少し痛んだ。
「もう日が昇りかかってるから。送っていくよ」
サンジが灯したのであろうランプの光がうっすらと彼の顔を見せた。
一睡もしていない様子で顔色が悪く、冷えた所為なのだろう、唇も真っ青だった。
外はまだ暗かったが、薄絹越しに見るような夜明けの風景が広がっている。
はやくしないと女中が起きて、ゾロの帰りに気づいてしまうかもしれない。
若しくは、もういないことに気づかれて心配されているかもしれない、とゾロが考えていると、
「急いだほうがいい」
サンジがゾロの手をとろうした。
わずかに触れられ、反射のようにゾロは手を引っ込めた。
さわられるのが怖い。
昨日の記憶の所為だ。
「・・・ごめん」
サンジは苦笑した。
もうしない、と。
一瞬だけ触れたサンジの手は、氷菓子のように冷たくなっていた。
当然だ、一晩じゅうずっと真冬の、吐く息も白い空の下にいたのだから。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
色を失くしたサンジの頬にそっと手を伸ばす。
まず指先、それからてのひらで、サンジの引き締まった頬に触れる。
「冷たい」
その硬さを確かめるみたいに、繰り返し撫でた。
「・・・ごめんなさい」
ちいさな声で謝罪する。
自分でも制御しかねる衝迫の所為で、サンジに迷惑を掛けた。
サンジはゾロが拒否しないのを確認しながらゆっくりと、頬に置かれた手の上に、自分の手を重ねた。
あのころは大差なかったふたつの手は、
ちいささも、細さも、柔らかさも、今ではまったく違うものになっていた。
サンジの頬から、てのひらから、じんわりと冷たさが伝わってくる。
その分だけサンジは、ゾロのぬくもりを感じているのだろう。
サンジはふわりとその目を閉じた。
「おれは、嬉しかった」
サンジがしゃべると触れている頬がてのひらのなかで伸び縮みする。
薄い皮一枚の向こうにあるものが脈々と蠢いている。
「あんな時間に、あんなふうに、ゾロがおれに会いに来てくれて、おれは嬉しかった」
まただ。
穏やかな表情で、またサンジは、ゾロの知らない男の顔になってしまう。
ゾロの手の中にいるのに。
けれどそれは昨晩のようにゾロを怯えされるものではなく、
ゾロの心をざわざわと落ち着かないものにさせた。
サンジに送られて家に帰ると、家の者はまだ誰も起きていないようだった。
音を立てないように注意しながら部屋へ戻り、布団を敷いて床に就いた。
まぶたを閉じても朝日が透け、同時に昨日の記憶がよみがえって、ゾロは何度も寝返りを打った。
『それとも、好きな人がいる?』
先生の言葉を思い出す。
自分はサンジのことが好きなのだろうか。
何がどうだったら好きということなのだろう、誰か教えてくれたらいいのに。
あのころ、子供の自分はきっと彼のことが好きだった、確かにそうであった。
顔を合わすことがなくなってからも、淋しいと感じるくらいには、彼のことを好きだった。
今、自分は彼のことをどう思っているのだろう。
それにサンジは?
どうしてあんなことをゾロに?
なにもかも変わってしまったから、わからない。
『もしも大人になって結ばれたなら、あのころのふたりの大切な記憶は穢れてしまうのではないだろうか』
あなたとふたり、朝露のように、
消えてしまえればよかったのに。