BLANK









彼が明日死ぬともわからぬ老人だったらよかった。
そうであれば未来の知れない者同士、悲しい色合いの中で抱き合っていることができたかもしれない。
明日はあっても明後日はないかもしれないふたりなら、遠からぬ未来にやってくるであろう別離を、
ただそっと寄り添って、諦念をもって迎合することができたかもしれない。
その時、ゾロは彼の腋に、項に、耳の裏に、老いによる肉体の腐敗のにおいを嗅ぐだろう。
彼もまた、ゾロの首の皮に、眦に、頬の毛穴のひとつひとつに、やがて来る別れの兆しを見つけるだろう。
その虚しさはなんと甘美であるだろうか。
ただじっと終わりが来ることだけを待つのなら、なんと食事もセックスも呼吸もしやすいことだろうか。





しかし彼は若かった。
太陽が照り返すようなまぶしい肌と、あふれんばかりのエネルギーに満ち、しかし制御の行き届いている肉体、
それに豪奢な金糸の髪に真白な歯。
そんなものに耐えられるだろうか?
そんなものに、この洗っても洗っても肌からは饐えた血の臭いが離れない男が、耐えられるだろうか?
否、ゾロが耐えられないのは彼そのものではなく陰に抱かれた自身と光を纏う彼との対比、
未来のない自分と無限の可能性を秘めた彼とのコントラストなのだ。
彼に抱かれる度、彼からの呼び出しを受ける度、悦びと共に訪れるのは何時も罪悪感だ。
待ち合わせの時間を幾らも遅れて現れるゾロを咎めることも無く、彼は満面の喜色で迎える。
その瞬間までの不安も焦りも絶望も全て無かったかのように、輝く。
その眩しさに目を細めたい一心で、ゾロは約束を取り付ける彼に応じた。
大抵の場合は事故的に遅刻するのだが、たまにわざと遅れていくこともあった。
珍しくまっすぐに待ち合わせ場所にたどり着けた日、ゾロは傍のビルの2階の喫茶店の窓から彼の姿を眺めていた。
駅前のモニュメントの前で、彼はじっとゾロを待っていた。
真冬だった。
会社帰りの人々が行き交うなか、徐々に冷えてきたという理由だけではなく、彼は頬を強ばらせていた。
1時間が過ぎ、2時間経ってもまだ彼は白い息を吐き出しながらそこにいた。
それ位の遅れならいつものことだ。
何時までいるんだろう、という好奇心があった。
時計はくるくると回っていたが、彼を眺めるゾロの時は止まっていた。
彼の金色の頭の天辺が見える。
その髪は冷たい風にさらされて上へ横へと忙しい。
セックスの時、彼はゾロの首筋を吸うのが好きで、
彼が痕を残そうとしている間、長い前髪の先が不如意にゾロの肩から伸びて頭を支えるしっかりとした筋肉を愛撫する。
ゾロがくすぐったさに身を捩ると、それを痕を残されることへの拒否と思い違ったのか、彼はますます強く噛みついてくる。
ゾロが頭の先から髪を撫で、首の裏、背中まで丹念に手のひらでなぞってやると、
ようやく安心したように今度はきつく赤くなりすぎた場所を舌で慰めだすのだ。
そんなことを徒然と考えていると、喫茶店の従業員が、申し訳ございませんがもう閉店ですので、と挨拶に来た。
はたと気づいて携帯の時刻表示を見ると、既に11時を回っていた。
彼からの着信が、ほとんど怯えのような遠慮からか、3件だけ入っていた。
メールも1件だけあった。
『待ってる』
時間は3時間も前のものだ。
彼はまだそこにいた。
先程と殆ど変わらない格好で、心なし背中が丸まっている。
唇なんか真っ青になっているんだろう。
なんで帰らないんだ。
芽生えたその想いは疑問のようであり、怒りのようであった。
疑問符に脳天が焼け付く。
ゾロは伝票をひっつかんで札と一緒にカウンターに叩きつけると、せき立てられて走った。
もつれそうな足で彼の前に立ち止まり、悪い、、遅れたと肩で息をつき、顔を上げる。
彼の凍えた頬に手をやると、よかった、と彼はようやく泣き出しそうに笑った。
泣き出してしまいたいのはゾロのほうだった。
なぜ、そんなにまでして、俺を。
彼は眩しい眩しい、ゾロが慈しむ輝きを放った。
笑った瞬間、彼の乾いた唇が切れて、真ん中からとろりと血が流れた。
唇から流れ出た血を我が物とするように、ゾロは自分の熱い舌でそれを拭ってやった。
慣れきった鉄の味に、その味に慣れきっているという事実に、望みを絶たれた気分だ。
こんな男が傍にいて、彼のこれからがどうこうなってしまっても、自分にはどうすることもできない。
彼は若く、自分はふたまわりも年上だ。
あの輝きを見たいという自分の欲望で、彼のどんなものにも変えることのできる未来を、
血の匂いの濃いほうへと引きずったりなどしてはいけない。
彼が少しだけ血の気の戻った頬で、なに、と尋ねる。
なんでもないんだと、ゾロは首を振った。







12月14日の日記より。
22歳年の差サンゾロの、ゾロ視点の話。