はじめまして、恋。
「好きです!」
昼下がりのレストラン。
いつもの通り、上から順番に全制覇を狙うメニューの昨日の続きを注文し、
きれいに平らげて、勘定をしようと立ち上がり。
そして目の前に立ちはだかった白いコックコートの男に勢いよく花束なんか差し出された。
いきなりの事態にいささか驚いてちらと店内を見渡せば、
客も従業員も固唾を飲んで見守っている。
どうもこりゃ、どうしたものか。
花束をぎゅっとつかんだコックの手から引きはがす。
軽いそれを、つまりは受け取った。
コックが顔を上げた。
なんだ、かわいい顔してるじゃねぇか。
巻いたへんてこ眉毛が下がってる。
「あ・・・」
「ん?」
「つ、つきあって下さい!」
花。
告白。
で、つきあってください。
今時中学生でも想像しねぇだろ、こんな告白なんてよ。
おもしれぇやつ。
軽く二回、うなずいてやる。
ちょうど、飢えてたところだし。
店内が沸いた。
ウェイター、ウェイトレスたちはクラッカーなんか鳴らしてやがる。
当の本人は目の前で、赤い顔でぼさっとしてる。
なんなんだか。
客まで立ち上がって拍手して、店内イベントかよ。
でも、まあ、おれにとっちゃ降って湧いたちょっとしたラッキーだ。
「まあ、座れよ」
立ち上がったばかりの席に座り直し、コックにも二人がけのテーブルのむかい側を勧めた。
コックはいたく緊張していて、顔の熱も引かず、どきどきしたままの様子だ。
黄色い髪はぽわぽわしていてヒヨコみたいだ。
愛らしい色合いの花束の、黄色い花に色が似ている。
おれがまじまじとコックを観察していると、恐る恐るといった調子でコックが話し掛けてきた。
うかがうような目でおれを見ている。
「あの・・・」
「なんだ ?」
「その、気持ち悪くねえの ?」
「なんで?」
「見ず知らずの、男にコクられて・・・」
「そう思ったらもう殴ってるぜ」
また眉毛が下がる。
かわいいな、オイ。
「だいたい、見ず知らずじゃねぇし」
「え・・・?」
「なあ、サンジ」
毎日昼を食いに来ているから知っている。
しょっちゅう厨房を抜け出して女性客に擦り寄っては、
厨房からさんざん名前を怒鳴られてすごすごと引きかえしていく職務怠慢コック。
女のそばにいるこいつと、どうもよく目が合うと思ったらそういうことか。
つい笑ってしまう。
「な、なんで、なまえ」
「んー?おまえよく怒鳴られてるだろ。覚えてる」
コックは恥ずかしそうに苦笑いした。
肩をすくめると、身がとても小さくなったように見える。
小さな二人がけテーブルはいつもは自分が座るためのものじゃないから、
コックは居心地が悪いんだろう。
「この時間、いつも、あんたのこと見に来てたから・・・」
店内は昼の客はあらかた帰ったようで静かだ。
さっき、見物のコックたちもあとは若い二人に任せてとかなんとか、厨房に引っ込んでいった。
コックはおれがメニューを上から全制覇しようとしていることに気付いている旨を、
まるで何かの大発見をしたかカブトムシを捕まえたかした子供のように誇らしげに伝えてきた。
おれが気付いたんだと、満面の笑みで言った。
「んで、そろそろおれは行かなきゃなんねーんだが」
かさ、と花束のフィルムを指で撫でる。
お世辞にもおれには花は似合いそうにないと自分でも思うし、他人も普通はそう思うだろう。
こんな貰い物ははじめてだ。
「今日何時にあがる?」
「えっ・・・」
「お前コックだろ。メシ作りに来いよ」
「あんたのうちに?」
「ああ」
巻いた眉毛が遠くに持ち上がる。
つきあってくれとは言ったけど、具体的には何も考えてなかったとかいうのか?
まさか、恋に恋するガキでもあるまいし。
「ちょ、ちょっと待ってて」
ばたばたと立ち上がり厨房に向かう。
何やら言い合う声が聞こえて、すぐにまたあわてて戻って来た。
「九時!」
「じゃあ九時半に迎えに来るな」
コックは顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振った。
勘定をして花束を抱え、コックに見送られてレストランを出る。
ドアが閉まる直前、
「夢みたいだ・・・」
とコックが漏らすのが聞こえて、また笑ってしまった。
しばらく退屈しないですみそうだ。
「ゾロ、あーそーぼ」
「エース、来てたのか」
マンションに帰ると開けっ放しのドアの向こうに、床にぐでんと横たわったそばかす顔の男。
お互いの家に勝手に出入りするなんて当たり前の中だから特に気にはしない。
「昼飯?」
「そ、いつもんとこ」
「メニュー制覇は?」
「あと少し」
スニーカーを適当に脱いで、だしっぱなしのめったに履かない皮靴を仕舞って。
「あそぼーよ、ゾロ」
「だめ。夜、客が来る」
花束の包装をといて、そのまま手近なガラスのコップに水を注いで突っ込む。
花瓶なんてもんは、もちろん、ない。
散らかしっぱなしの新聞、雑誌を乱暴に重ねて端にのける。
今朝食べた菓子パンの袋とか、昨日の晩のカップめんの空とか、ティッシュまるめたのとか、
まとめて集めてゴミ箱に突っ込んで、テーブルをティッシュでぬぐう。
「おら、手伝え」
エースにも手伝わせてざっと部屋を片付ける。
それだけですっきりしてしまうこの部屋のものはそう多くない。
「布団も干せば?天気いいぜ」
「あー・・・じゃあ干しとけ」
夏場でも重たい布団がないと落ち着かなくて寝られない。
毎晩クーラーをがんがんにかけて、布団をかぶって寝る。
布団は毎日の汗ですっかり匂いがしみこんでしまっているはずだ。
ついでにシーツも取り替える。
今の季節は日が長いから、布団はサンジを迎えに行く前に取り込めばいいだろう。
「ふうっ、掃除終わり。いや〜・・・みちがえるようだねゾロ?」
「お前もー帰れ」
「えぇっ!?手伝わせといてソレ?お客さん、見せてくんねーの?」
「純情そうだし味見もまだだからだめ」
エースはセックスもするオトモダチだ。
おれの庇護者の、シャンクスんとこの部下?義理の息子?なんだかは知らねぇ。
「何なに、どこで見つけてきたの?」
「レストランのコック。さっきコクられた」
「あー・・・あの花?」
「そう。花なんか貰ったのはじめてだ」
「男?」
「男」
「かわいい?」
サンジの姿を思い出すと自然と頬が緩む。
あんな情けない顔して、全部顔に出てたなあいつ。
「あー・・・かわいんだ」
「ああ」
見たい見たいとわめくエースを無理矢理追い出して、ひといきつく。
花はテーブルの真ん中に飾ろう。
きっとそれを見てサンジは照れたように、嬉しそうに笑うだろうから。
約束の九時半きっかりにサンジを迎えにレストランに行くと、
サンジは緊張した様子で店の外で待っていた。
コックコートを脱いで、シャツ一枚にジーパンなんて格好をしていると、
高校生くらいにも見えるほど、雰囲気が幼い。
おれを見つけると駆け寄ってくる、かわいいもんだ。
マンションに向かう途中で深夜営業のスーパーに寄った。
「好き嫌いとか、あるか?」
「ねぇ。何でも食う」
「よし」
「そういやうち、調味料とかもなんにもねぇぜ」
「う〜・・・最低限だけ買う」
「重くなるな」
「大丈夫だろ」
プラスチックの黄色いかごの中身はあっという間にいっぱいになった。
「めちゃくちゃうまいメシ食わせてやるよ。得意料理」
メシの話をするときは目がこんなにきらきらするのか。
食材を選ぶサンジの目は真剣そのもので、ああ、こいつちゃんとコックなんだな、と思った。
「すげー!」
おれのマンションについたサンジは開口一番そう言った。
高さはないが立派なことは立派なこのマンションの、まあいい部屋だからな。
そもそもこのマンションの持ち主は金持ち親父シャンクスだったわけだから、無駄に広いし。
「すげー・・・」
使いやしないキッチンも立派で、おれにとっては宝の持ち腐れだった。
調理器具もフライパンから蒸し器からあらかたそろっているからおそろしい。
「あ、花」
テーブルの上の花に、サンジが気がついた。
「飾ってくれたんだ」
「花瓶なんかねぇからグラスだけど。花なんか貰ったのはじめてだぜ?」
くくっと笑うと、照れたようにサンジも笑った。
「一人暮らしなのか?」
「ああ」
「すーげー・・・」
「まあそのキッチンも湯沸かすくらいにしかつかったことねぇけどな」
サンジはさっそく火力やら器具やらを確認して、料理を始める体勢に入っている。
おれは昼から何も食べていなくて腹が減っている、けども。
キッチンに向かいっぱなしのサンジの、背中に抱きつく。
「うわっ」
びっくりしてむきかけのたまねぎを取り落とした。
「なあ・・・」
耳の中に直接ささやく。
シャツの中に手を入れると、すべすべの肌にするりと奥まで誘いこまれるようだ。
「なっ・・・え・・・えっ?」
もう片方の手でシャツの前ボタンを下からひとつひとつ外していく。
首筋に顔を埋めて息をすうと、未熟なフェロモンが甘く香った。
きつく吸い上げれば、真っ白なそこには花が咲いたように痕が残った。
「なに・・・・・・?」
体じゅうがガチガチになって、あわてている、混乱している。
「まさか知らねぇわけじゃねぇだろ?」
おれが吐息で笑うと、サンジの耳元に息がかかって、ぶるっと震えた。
シャツのボタンを全て外し終わり、開かれた場所の乳首に触れた。
びくん、と大きく体が揺れる。
「ちっ・・・・・・」
「そんなつもりで来たんじゃねぇって?」
まだたいしてなにもしていないのに、もう足ががくがくしている。
チェリー君だったか?
「おれはその気だったんだけど」
耳の裏を舐め上げる。
開発するときは、自分のされたいことをしてやるのがいい。
快感を覚えれば、相手に触れるときにも同じことをするようになるから。
じっくり教え込んでいくのも楽しいだろう。
「コクって、つきあうことになって、部屋に上がるっつったらこういうことだろ?」
「おれはそんなつもりで来たんじゃないっ!!」
こんなふうに拒まれたのははじめてだ。
がたん。
サンジが出て行くときに激しくテーブルにぶつかって、倒れた、花。
水がこぼれて、床にまでしたたっている。
『おれたち、まだ、なんにも知らないのに・・・』
花は、変わらず、そのままで咲いている。
作りかけの夕食も、作りかけのままで置いてある。
さっきまでサンジがそこに立っていたそのままで。
傷つけてしまったんだろうか?
何にも知らないと言ってサンジは行ってしまったけど、知らないなんて当たり前だ。
一晩だけの関係でお互いのことをろくに知らずにセックスして別れるなんてよくあることだ。
それなのに、何が気にいらなかったっていうんだ、
あいつのことを知らないから、何もわからない。
そうだ、おれたちは、
さっき知り合ったばかりで、お互いのこと何もちゃんと知らなくて、
どんなつもりであいつが来たのかも、
こんなときすぐに会いたいならどこに行ったらいいのかも、
得意だって言った料理、なにができるのかも、
すきなものもきらいなものもぜんぶぜんぶ知らなくて、
おれはあいつのことを知らなくて、
あいつもおれのことを知らなくて、
そうだ、おれはあいつに名前さえ教えてなかった。
花束なんか買うのははじめてだ。
花屋の前でばったり会ってしまったエースにさんざんからかわれた。
昨日の首尾は、とふざけて聞かれたから、これから愛を告げに行くんだ、と真剣に答えた。
シャンクスの親父に報告しとく、とか言ってエースはへらへら去っていった。
サンジとの関係は、はじめてのことだらけで、こんなふうな気持ちになるのもはじめてだ。
ちゃんとあいつのことを知りたい。
昨日のことを謝って、一からすべて教えあって、知り合いたい。
おれだけじゃなくてあいつだって悪い。
ちゃんと教えなかったのは同じだ。
だけどあの純粋な男をとても深く傷つけてしまったかもしれないことを後悔しているから、
おれもあいつがしたのと同じように、ちゃんと言いに行こうと思うんだ。
昼、夏の、日差しがまぶしい。
昨日と同じ時間、いつもの時間、レストランのドアをくぐる。
席には向かわず、忙しそうに熱気を放つ厨房に足を踏み入れ、呼ぶ。
「サンジ!」
ざわめく厨房がしんとなる。
いくつものコックコートの顔を眺める。
見つけた。
へんてこ眉毛の、可愛い顔。
ずかずかと乗り込んで、目の前に来て。
ああ、サンジの目の周りが赤く腫れている。
ごめん、かわいい。
がさり、フィルムを鳴らして、愛らしい色合いの花束を差し出す。
「『好きですつきあってください』」
2004年夏(たぶん)吉野さんちsnoozeさんの、花祭りに載せていただきました。