献血に行こうよ!







ロロノア・ゾロの趣味は献血である。
少し前までは近所の献血ルームに通っていたのだが、最近彼が訪れるのは駅裏のボロアパートの一室だ。
そこには愛すべき小心者の吸血鬼が住んでいて、ゾロの来訪を待っている。
かわいくてかわいそうな彼のため、すぐそばの線路を電車が通るたびにガタガタ揺れるような安普請に、ゾロは今日も足を向ける。
アパートの1階の、一番線路に近い側にあるのがサンジの部屋だ。
風呂なし、トイレは共同。
不便じゃないのかと聞くと、俺人間じゃないから代謝とか関係ないし、とへらへら笑う。
ベニヤ板並に頼りないドアをノックすると、奥からはぁいと弱々しい返事があった。
「いらっしゃい」
部屋のドアを開けて出迎えてくれたサンジは、心なしか顔色が悪いように思えた。
昼間なのにカーテンを締め切った部屋は埃まみれで黴くさく、そして寒い。
ゾロはスニーカーを脱いで部屋に上がると、まっすぐに火燵に入った。
これは先月、ゾロが粗大ごみで拾ったもので、布団のあちこちに穴が空いている。
野良犬のような匂いもするが、サンジもゾロも気にしなかった。
「この部屋さみいな。ストーブつけろよ」
「あー、石油終わっちゃったから」
「買えよ」
「金ない」
「働けよ」
「血が足りない」
不毛なやり取りをしながら、サンジはだるそうに黄ばんだ畳に横になった。
顔色が紙みたいに白いし、唇は紫色でかさかさ、ご自慢の黄色い髪にも艶がない。
水気がなくばさぱさの髪に触れながらゾロは聞いた。
「いつから食事してない」
「この前ゾロが来てからだから、先々週?」
あっさりと言うサンジに、ゾロは大きな溜息をついた。
「よそ様の血ももらってこいよ」
「だって俺もう日赤にマークされてるしー」
ゾロはもう一度溜息をついた。
このアホは吸血鬼のくせに、女の首筋に噛み付いて血をいただく、という吸血鬼といえば誰もが想像するあれをしない。
麗しのレディにそんな真似はできない、と気障ったらしく肩をすくめるのはいいが、要するに血を吸うのがものすごくヘタクソなのだ。
相手が失神状態から目覚めるほどの痛みを与え、しかも牙の痕がでかでかと残る。
他の吸血鬼のものなら数時間で消えるらしいのに、こいつの噛み痕は1週間も治らない。
それでこいつは仕方なくコソドロのように献血ルームから血液を盗んでいたらしいのだが、
バレて日本赤十字社から各献血ルームや献血バスに要注意人物として手配書が回るようになってしまった。
つくづく夢とロマンスをぶち壊しにしてくれる吸血鬼である。
「もうこの際、女じゃなくたっていいだろ」
ゾロが言い終わらないうちに、サンジはイヤーッ!と手足をばたつかせた。
ガキか。
「男を襲うなんて俺の美学に反するのっ」
「俺も男だけど」
「ゾロは合意の上だからいいのさあ」
そう言いながらサンジは、ゾロの腰に腕をまきつけてくる。
こんなふうに甘えられると、なんだかほっとけなくて、
ついついゾロは「AB型 大ピンチ!!」とか書いた看板を持って献血ルームの前で声を張り上げているおっちゃんに対するのと同じくらいに同情してしまう。
そしてついつい、サンジの輸血センター代わりになってしまうのだ。
「お前はほんっとどうしようもねえなあ」
言いながらゾロはジャケットを脱いだ。
カーディガンも脱ぎ、シャツのボタンを上からいくつか外すと、左の首筋をはだける。
背中のほうまで冷気が滑り込んで来て、ゾロはぶるりと震えた。
「ほら、吸っとけ」
軽く促すと、彼はゆるゆると体を起こして近づき、ゾロの肩に手をかけた。
怯えているようなゆっくりとした動作はいつものことだ。
一思いにさっさと済ませてくれたほうが楽なのにな、と思っているけれども、口にはしない。
サンジの体は冷たくて、天窓のついた古い物置の奥のような、埃っぽく甘い匂いがした。
ひやりとした唇が首筋に触れる感触があって、冷たさのせいだけでなくゾロの背筋がざわつく。
早くしてくれと焦れているのが伝わったのか、ようやく硬い牙があてがわれた。
ゆっくりと肉を裂いてのめり込んでくる感覚と共に、焼けるような痛みが襲ってくる。
「んっ・・・」
どんなに唇を噛み締めても、抑え切れない声が喉の奥から洩れだす。
ゾロは必死でサンジのシャツの背中を握りしめ、痛みに堪えた。
「あっ・・・・・・はぁっ」
本当はこんな声上げたくない。
けれども我慢しきれないものは仕方なかった。
噛み付かれた場所から体外へと血が出ていく感覚があって、同時にサンジの体が熱を帯びていくのがわかる。
久しぶりの栄養に、省エネモードだったサンジの全身が活発に動き始めている。
やがてサンジの牙は離れてゆき、代わりに大きな穴が開いたそこをサンジのぬめった舌が行き来した。
バンパイアの唾液には治癒の効能があって、嘗めておくと噛み跡の治りが早くなるらしい。
しかし、生れつき他の吸血鬼に比べて大きく、先が鈍いサンジの牙では、その程度では追い付かない。
彼は吸血の下手糞さは、本当は本人の技術というよりも、その身体の問題に寄るところが大きい。
サンジの肩に顎をのせて荒い息をつくゾロの背中を、サンジは何度も撫でた。
「ゾロ、ゾロ、だいじょうぶ?」
いたわるように優しく床に寝転がされ、サンジの顔を見上げる。
その顔には血の気が戻り、肌は透き通るように白く、髪は輝くように美しくなっていた。
「顔色、戻ったじゃねえか」
「うん、ゾロのおかげだよ」
サンジの髪に触れると、さっきまでが嘘のようにやわらかく、絹糸のような感触だった。
指と指の間を通り抜けていく感触が気持ちよくて、何度も手のひらを行き来させる。
血を吸われた直後はいつも不思議とふわふわした感じがして、そのあとしばらくするととても体がすっきりして軽くなる。
ゾロはこの体調の変化が気持ちよくて好きだった。
ぼんやりしているゾロに、サンジが言いにくそうに口を開く。
「あのさあ、ゾロ、血を吸わなかったら俺はただ勝手にのたれ死ぬだけなんだよ。それだけだよ。
だからゾロはこんな痛いの我慢してくれなくたっていいんだよ」
いつになく真面目な口調でサンジが言う。
へたれのくせにと、なんだか笑ってしまって、そしたらサンジは泣きそうな顔になった。
「そりゃあはじめに献血センターの前で助けてもらったのは感謝してるけど、」
サンジが言いつのるのを遮って、ゾロが口を開く。
「俺は献血が趣味だからいいんだ」
「ゾロ・・・!」
サンジは感極まったような声を出して泣き始めた。
どうしよう、気をつかってるとかじゃなくて事実なのに、と思っていると、
サンジが覆いかぶさってきて、むちゅう、と唇を押し付けられた。
「ゾロ、好き・・・」
サンジの目はとろんとして、頬が林檎みたいに赤くなっていた。
そして腹の辺りになにか硬いものがあたる。
「ゾロ、好き、セックスしたい」
甘く囁かれ、ゾロは慌てて体を起こす。
「だっ、駄目!絶対!」
「どうして?俺血ぃ吸うのは下手かもしれないけど、セックスは上手いと思うよ。したことないけど」
根拠ないんじゃねぇか、アホ、と思いながら、ゾロは慌てて服を身に付ける。
牙の痕にシャツがこすれると、ほんの少しぴりりと痛んだ。
「だいじょうぶ、痛くしないよ」
「とにかく駄目!献血できなくなるから!」
献血できなくなる条件のひとつに、男の場合は同性と性的接触を持ったことがある、という項目がある。
サンジに定期的に血を抜かれているとはいえ、公的な献血が出来なくなってしまっては困るので、
是非ともセックスは忌避しなければならない。
例えサンジのことを憎からず思っているとしても、だ。
「献血ぅ?だっ、だめ、もうしちゃだめ、それ浮気ー!」
狂ったように大声を上げているサンジを残し、ゾロはスニーカーを引っ掛けてアパートを飛び出した。
線路を電車が通っていく轟音がして、サンジの声はすぐに聞こえなくなった。







2009/12/24