気にすることないのに。
「上がれよ」
「・・・おじゃまします」
はじめてゾロがおれんちにやってきた。
やべぇ、意味もなく緊張する。
何か期待してないわけじゃないし、でも相手はあのゾロだから何か期待してるわけじゃない。
つちふまず以外の足の裏も浮きそうな、痒いような、もぞもぞする、落ちつかない感覚。
玄関で靴を脱いで、自室に案内しようとすると、慣れ親しんだ自分の家が急によそゆきの顔になる。
ゾロが玄関を上がり軽い音で床を鳴らしたのを背中で聞く。
振り返る。
と、ゾロは急にUターンした。
「・・・・・・・・・帰る」
え、と目を丸くする暇も無くゾロはたった今脱いだオレンジのスニーカーをつっかける。
「ちょ、ちょっと」
「帰る」
捕まえかけた腕をするり、逃れてゾロは走り去ってしまった。
またたく間のできごとにぼうぜんとして追いかけることもできなかった。
えー、こんなときはどうしたら。
何がゾロを帰らせたのか、下着の色が上下違ったのかって女の子じゃないし、
たとえ女の子でもゾロに限ってないだろ、おれの下心に気付いたのかってそれもありえない、
なんかいろいろわかってないし、むしろ気付いて欲しかったくらいだちくしょう、
夏休みの宿題を見せるとかただそんだけだし、家にはおれの親もいるわけだし、
そもそもゾロに警戒心なんてもんがあるのかあやしいし、
ええとなんだこの状況は。
もしかして怒った?
でも何に。
女の子だったら意味なく怒るのにだって理解できるけど、ゾロだぜ。
玄関に突っ立ったまましばらくぼーっとしていると、
尻ポケットに這い追った携帯がぶぶぶぶ、と鳴ってメール受信を知らせた。
『ここはどこだ』
知りません。
ゾロからのメールだった。
すぐに折り返し電話して目印を聞いてだいたいの場所の見当をつけて迷子を見つけてばかと笑って。
ゾロがいたのはおれの家から2kmくらい離れた場所の工事現場の前だった。
そこはさっき一緒に降りた駅とは逆方向だし、もちろんゾロの家も遥か彼方だ。
帰るってどこに帰るつもりだったのとからかうと、ゾロはむくれて先を歩こうとする。
違う方向へと。
ちがうこっちだと示して並んで歩く。
おれの家を突然飛び出してしおきながら迷子になって結局おれに助けを求めて、
そしてまた間違って、普段理由なく偉そうなゾロも多少の気まずさは感じているらしい。
おれは嬉しいんだけど。かわいいし。
「ん」
「・・・ん」
いつもはいやがるくせにゾロは、手をさしだしたらちゃんとにぎった。
ゾロの手は女の子とちがって固くて、ごつごつしてて、引き締まっていて、
おれの手にぴたりと馴染む。
真昼間の往来には夏休みで暇をもてあます子供たちがたくさんいたけど離さなかった。
暑かったけど離さなかった。
家に着くまで離さなかった。
今度は観念しておれの部屋にあがったゾロは、
窓のわきのクーラーの真下に陣取って直接冷風を楽しんでいた。
昨日おれは今日来るゾロのためにもちろん部屋の掃除をしたし、布団も干してシーツも換えた。
ゾロがごろんと寝転がっているフローリングはちゃんときれいで、ひんやりする。
あ、へそ見えた。
これはラッキーなのか、耐えねばならない苦行なのか解釈に悩むところだ。
くつろぐゾロの白ソックスのかわいい足もおれのすぐ左にあって、
ちょっかいをかけたくてうずうずする。
「あ」
「あ!」
ゾロはあわてて起き上がり、右のくつしたの爪先を両手で隠した。
「ゾロの親指さんがこんにちはしてる」
くつしたの親指のあたりをひっぱって畳み込んでふんずけて、
弾かれるようにゾロは立ち上がり、またあのひとことを。
「帰る」
なるほど、さっきの理由がわかった。
そんなの気にすることないのに。
ゾロに限って。
今度はちゃんと引き止める。
後ろから腰にぐるり腕を回して、はい、つかまえた。
「怒ってんの?」
「・・・おこってねぇ」
「じゃあ、はずかしい?」
「ちがう」
「じゃあ、何?」
後ろからでもちゃーんとおれには見えてる。
ゾロのほっぺたが、少しだけ膨らんで、赤くなって、眉間にしわが寄って、唇がとんがってるの。
怒ってるようで怒ってるんじゃないし、拗ねるでも照れるでもないし、
なんていうんだろうな、ゾロのこれは。
ゾロがかわいくておれにとって最高にいとおしいという証明のようなこれは。
そうっと耳元に唇を近づける。
たぶん、もう、ゾロは何にも言わない。
けど絶対帰らない。
「脱いじゃえばわかんないよ」
ほんとは全部脱がせたいけど。
・・・もうわしは知らない。やってらんなーい