輝きは夏のいろ
夏まっさかり。
蝉はみんみんみん、だのつくつくほーし、だの短い輝きをめいっぱい主張してるし、
人々だってどこかしらうかれて常にはない輝きを放っている。
それとは全く無縁な、灰色の受験生、夏、天王山。
クーラー工事中でうるさい校舎、せめてもと教師が選んだ校舎最上階の風通しのましな教室の、
開けた窓から、ドアから、こぼれてくる部活動の生徒の熱気、汗の匂い、輝かしいいろ。
ついこの間まで自分もそこにいたはずの、はるか遠い場所。
夏だっていうのに。
あっという間に通り抜けていく風を感じながら、夏の学校、高三、夏期講習。
シャーペンを握る手が汗ですべり、ノートは垂らした汗でまるくてんてんとふやける。
わうわうと電気音を鳴らして扇風機が首を振っているが、その風はゾロの元にまでは来ない。
窓際の席に座ったゾロは、ただ風を待つばかりだ。
静かに揺れる木々の葉が、大きくその身をひるがえす瞬間を待っている。
そんなことを言っている場合ではないのだけれど、教師の話はつまらない。
ひたすら続く問題演習、わかりにくい回答例、できなくても生きていける問いばかり並ぶ。
やってらんねぇぜ。
こぼしたところでやらなくては、夢には手が届かない。
こう暑くては、体どころか、心までもぐだぐだに溶けてしまいそうだ。
たとえ夢のための過程とはいえ、やはり好きではないことにはたいして気が向かないのだ。
ゾロはそう、器用な性質ではない。
夢のための回り道を突っ走れるほどには頭がよくも悪くもない。
ふと隣を見れば、その席に座った金髪も、つまらなそうに頬杖をついて疲れた魚の目を泳がせていた。
金髪の名前は、サンジ。
この夏期講習にはさして仲のいい相手もいなくて、
隣の席になった縁で4つ離れたクラスのサンジとなんとなく話すようになった。
なんとなく話して、なんとなく一緒に帰って、なんとなくコンビニによって、なんとなく買ったパピコの片方を、
なんとなくサンジにやって、なんとなく並んで吸って、なんとなく仲良くなった。
じゃあ次、問8まで30分でやりなさい。
サンジはくあ、と大きなあくびをかみ殺してから、ゾロの視線に気付いてにかっと笑った。
教室は真剣な負の熱気でしんとしているから、話し声はいけない。
サンジはノートのはしっこをびっと切ると、ちまちました字でなにやら書いて寄越した。
『たいくつつまんねぇかえりてぇわかんねぇおしえろ』
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ちいさなきれっぱしの切り口はぎざぎざで、丸くなっていて、紙はそっていて机に乗せるとゆらゆらした。
ゾロは赤いボールペンで、『たいくつ』と『つまんねぇ』と『かえりてぇ』に丸をつけ、
『わかんねぇ』には『おれも』、『おしえろ』にはバツをつけて、すみっこに65点、と書いて返した。
しばらくノートのきれっぱしがゾロとサンジの机の間を何度も往復した。
内容はくだらなくて、アイスをうまいこと丸く皿に盛る方法、消費税をちょろまかした話、言葉遊び、など。
手元に紙がやってくるそのたびに笑いをこらえたり、視線をちらちらと交わしあったりした。
しばらくして、そろそろお互い真面目に問題を解こう、ということになって、おとなしくテキストに向かった。
受験生という自覚は、あるにはあるのだ。
ただあまりにも退屈なだけで。
授業が終わる10分前くらいに、またサンジはちいさな紙をゾロに回した。
今までと違って、それは定規できちんと四角に切られていて、二つに折られていた。
『つきあわねぇ?』
びっくりしてサンジの方を見ると、頬杖をついて、わざとゾロとは違う方向をみていて、
頬をうっすら赤く染めていた。
それでは今日はここでおしまいにします。
今日やったことの復習と、明日の予習、頑張ってください。
教師が開けっ放しのドアを、汗を拭きつつ悠々と出て行くと、
教室の中にはそれぞれすぐに帰るもの、先生を追いかけていって質問するもの、
友人と疲れた顔で話すもの、席に座って自習を続けるものなどでざわついた。
それでもゾロもサンジも微動だにしなかった。
サンジは相変わらずそっぽを向いたままだし、ゾロは思いあぐねたように窓の外を見ている。
木々の葉がそよそよと気持ち良さそうに風に身をまかせている。
空は手を伸ばせば触れられて、突き抜けて体ごとどこかにやってくれそうなくらい、青い。
葉っぱは一枚一枚が太陽の光を反射してきらきらして、それだけでは飽き足らず、
揺れるたびに違う場所に光を映してちかちかしている。
まぶしくて目を細めた。
ざわめきとは遠い、深い場所で、ゆっくりと時間が流れていく。
一人、また一人と教室を出て廊下を遠ざかっていく足音を聞いているうちに、
いつの間にか日は傾いて、夕焼けが差し込む教室の、机の、椅子の影が長く伸びていた。
知らないうちに、ふたりきりになっていた。
「ゾロ」
たえかねたようにサンジは呼んだ。
不安そうに眉根が寄っている。
手の中に握りっぱなしで、ふにゃふにゃになったきれっぱしを見た。
それからサンジを見た。
もう一度、手の中の手紙を読んだ。
こくり、うなずいた。
それからはじめてのキスをした。
だれもいない、オレンジ色の教室で。
きらきらの葉っぱになった気分だ。
並んで帰るとき、色鮮やかに輝く夏に自分も溶け込めた気がして、嬉しかった。
サンジがそこに連れてきてくれたんだ。
自分があこがれ、疎外感を感じていたそこに。
あのちいさなノートの切れ端は、制服の胸ポケットにしまってある。
それはたぶん、色づく夏への招待状。
2004年夏(たぶん)エヌさんちバク転ヒーローさんの、恋文企画に載せていただきました。