あひるのおうじさま
ゾロの夏休みがおわった。
昨日までは毎日ゾロといっしょにいたから退屈することなんかなかったが、
今日はゾロがかえってくるまで暇だ。
おもしろいテレビもおわってしまい、床にこがってぼんやりするのにも飽きた。
とけい、というやつを見る。
ゾロはみじかいほうが下になることに帰ってくるといっていた。
いま、みじかいほうはななめ下、から下、になりつつある。
ぞろのおむかえにいこう。
そうおもいたってひものむすべない靴をほどけたままはくと、
あいかわらず鍵がこわれたままの台所の窓をがらりとあける。
ドアの鍵はあけられるようになったが、つかわない。
練習してできようになったのがうれしくてなんどもがちゃがちゃやっているうちに、
ゾロにしかられてさわってはいけないことになったのだ。
よいしょ、とよじのぼって、窓をくぐり外にとびおりて決めポーズ。
だれも見ていなかったけれどなかなかかっこよく決まったとごきげんだ。
もちろんポーズはこのまえからおきにいりの、特撮ヒーローのまねっこである。
「ぞろぞろぞろ、ぞーろぞろー、おむかえー」
てきとうなメロディで口ずさみながら、橋のほうへあるく。
こっちからゾロは帰ってくる。
はじめて会ったときからそうだから、よく知って、慣れている。
天気がいい。
おひさまは元気いっぱいににこにこしているし、白い雲がとおくでもこもこしている。
おおきなおうちのおなじ竹垣がずうっとつづくこの道では、
日がかたむいてのびた影の中をえらんであるいていくと、それなりにすずしくてきもちがいい。
サンジは暑いのがあまり好きではない。
ゾロのところに来るまではずっと、比較的すずしい水のうえにいたから苦手だし、
それにゾロが暑がってサンジとくっつくのをいやがるからだ。
サンジはゾロにくっつくのがなによりいちばん大好きだというのに。
竹垣のむこうがわから、ピンク色の花のあつまりが顔をのぞかせている。
ちょうどサンジの目のたかさにあって、
まるで竹垣のむこうの道になにかおもしろいことがないかとみはっているみたいだ。
「やあ、なにかおもしろいことはあった?」
はなしかけてみる。
花たちは風がふくと同時に、いいえ、と枝をしならせた。
「そっかー、なんかいいことあるといいね、あったらおれにもおしえてね」
それからまたぞろぞろ〜、おむかえ〜、とうたいだした。
竹垣のむこうから、ちいさな女の子のきゃあきゃあいう笑い声がきこる。
サンジは女の子が好きだ。
おおきくても、ちいさくても好きだ。
なのでちょっとのぞいてみる。
すると、女の子をみつけるよりも先にこちらにまっしぐらに大柄なハヤブサがとんできた。
まるでおそいかかってくるみたいに。
「あっだめよ、ペル!」
びっくりしたサンジが頭をひっこめると、目のまえを水滴がちらついた。
あーあ、とおもうとすぐに竹垣の背がものすごく高くなった。
アヒルのすがたにもどってしまっている。
しゃぱしゃぱしゃぱ、と水が芝生にはじける音がきこえた。
「ごめんなさい、だいじょうぶ?」
青いのホースを手にした女の子が、竹垣ごしにサンジをみおろしている。
水色のながい髪をひとつにまとめた、まるっこいおでこのかわいらしい子だ。
女の子は、自分が水をかけてしまったはずの金髪の男がきえて、
かわりにまっしろなアヒルがみずたまりのまんなかにいるのを見て、
おおきな瞳をもっとおおきくみひらいた。
ぴょこんとひっこんで、すこし先の勝手口から道にでてくると、サンジのまえにしゃがみこんだ。
「アヒルさん?」
さんじだ!
と声をだしたつもりでも、もちろんぎー、というアヒルの鳴きごえにしかならない。
「ねえ、わたしがさっき水をかけちゃったおとこのひとは?」
おれだ!
と言っても、女の子の耳にはアヒルががあがあいうようにしか聞こえない。
「どこにいっちゃったのかしら」
女の子は髪の毛をしっぽみたいにふりまわしてきょろきょろした。
だからおれだってば!
もちろん女の子にはわかってもらえない。
「アヒルさんもぬれちゃったのね。ふいてあげるから、きて」
こうしてサンジは青い花柄のワンピースを着た女の子にまねかれて、
竹垣のむこうのりっぱなおうちへとはいっていった。
「わたしはね、ビビっていうの。こっちはペル」
おおきなおうちの縁側に、アヒルと女の子がならんでいる。
すこしはなれたところにとまったペルと呼ばれた鳥は、今もこちらをぎろりとした目でにらんでいる。
おなじ鳥のはずだけれど、アヒルのサンジとはずいぶんちがう。
アヒルではにらみをきかせたところでひょうきんな表情にしかならない。
「ほんとはパパの鳥なんだけどね、ないしょでいっしょにあそんでいたの」
ビビはサンジにかかった水をやわらかいタオルでふいてくれた。
しかしサンジはもともと水の上に住む鳥だから、アヒルの姿をしているときはぬれていても気にしない。
むしろ、今すっかり乾かされて人間の姿にもどってしまったらどうしようかなあ、とおもっていた。
そんなことはおかまいなしにビビは念入りにサンジの羽根から水をぬぐいさっていく。
ビビの手はちいさいから、ゾロにやられるよりももっと時間がかかった。
それにゾロがやるよりもずっとていねいな仕草だ。
「ふふ、アヒルさん、どこからきたの?」
ビビは自分の仕事に納得したらしい。
おもしろそうに、サンジの首をつるつると指先でたしかめている。
「いっしょにあそびましょ」
ビビはたちあがって、庭をかけはじめた。
ペルもたからかな羽音で飛びたつ。
サンジは縁側でビビの様子をながめた。
芝生の庭はひろく、背の高い木から可憐な草花まで、さまざまな植物が植わっている。
蓮がうかぶ池に石づくりの橋までかかっている。
ビビはつぼみをつけた萩の枝の先をたわませては手をはなし、
ひょこひょこ首をふらせるのをくりかえしている。
あーそういえばゾロのことむかえにいくんだった。
とおもいだしたところで、全部かわいて人間の姿にもどった。
「ねえアヒルさん」
ビビがサンジをふりかえる。
アヒルが消えて、さっき水をかけてしまった男が縁側にすわっている。
どうしたものかとサンジは首をひねった。
ビビはきょとんとしてまじまじと人間のサンジをみつめると、かけよっておおきな声をあげた。
「アヒルさんはおうじさまだったのね!」
おうじさまってなんだ?
と一瞬考えてから、あーあのテレビでみたやつだ、とおもいあたる。
ビビは興奮した様子で、すごいすごい、ほんもののおうじさまだ!とサンジにまとわりついている。
「ねえおうじさま、なまえは?」
「さんじ!」
「さんじおうじさま?」
「そう」
「なんでアヒルさんになっちゃったの?わるいまじょにのろいをかけられたの?」
「かけられたの。それでおひめさまのキスでもとにもどったんだよ」
サンジは大真面目にこたえる。
頭のなかではもちろん、テレビアニメのおとぎばなしがストーリーをつむいでいる。
ビビはわあ、と目をきらきらかがやかせた。
「すてき。さんじおうじさまの、おひめさまはどんなひと?」
「んーとね、かみのけがきれいなみどりいろでね」
「みどりいろ?」
「うん、あのじめんにはえてるみたいな」
「かわってるのね」
ビビのおもうお姫さまといったらたいてい金色の髪をしている。
緑の髪なんてきいたことがない。
「ビビちゃんのみずいろだって、かわってるよー。おひめさまみたいだよ」
サンジの頭のなかのお姫さまはいろんな色の髪をしている。
なぜなら、サンジはテレビアニメにでてくる女の子をなんでもかんでもお姫さまだとおもっているからだ。
「ほんと?おひめさまみたい?」
「うん。ビビちゃんはおひめさまみたい」
ビビはうれしそうにうふふ、とわらうと芝生の上をくるくるまわった。
「こらサンジ!なにやってんだ」
竹垣からゾロが顔をのぞかせた。
「ぞろ!」
サンジはびっくりしてたちあがる。
「帰ったらいねぇから、探しちまったじゃねえか」
「ぞろ、ごめんなさい」
サンジはしゅんとうなだれた。
ビビはゾロを見ると、ああ!と声をあげた。
「おひめさま!?」
サンジとゾロを交互に見る。
「うん、さんじのおひめさまだよ」
ビビは竹垣のむこうのゾロにかけよると、スカートのすそをちょんとつまんで、
「はじめまして、ビビです」
とおひめさまみたいなしぐさであいさつをした。
9月20日の日記より。王子様アヒルサンジ、ビビ姫、ゾロの三角関係。