視線
中学のとき、どういうわけか、いや訳なんか無かったのかもしれないが、とにかくホモだと噂されている男子がいた。
その頃サンジはまだ華奢で、女の子みたいにふわふわした顔立ちをしていたから、
自分に向けられる視線に対してとても敏感だった。
事実、電車で痴漢に遭ったり、上級生から性的なからかい文句を口にされることも一度や二度ではなかった。
もちろんそれ相応の対処をするだけの男気を持ち合わせていたので、本当にひどい目にあうことはなかったけれども。
中二の時、サンジは彼と同じクラスになった。
彼が自分を見ていると気がついたのは、文化祭が終わって暇を持て余していた時期だ。
授業中に、休み時間に、ふっと気がつくとこちらを見ている。
見ているだけだ。
その視線に、色も感情もない。
それだけに余計に癇に障った。
例えばもっといやらしい、下心丸出しの視線を送ってくるのならば、正面切って気色悪いと糾弾できるのに。
サンジはクラスでも目立つ、行動力のすさまじい連中とつるんでいることが多かったから、
ホモ野郎がいやらしい目で見くるんだよね、という呟きがいじめになるのはあっという間だった。
教科書に落書きをしたり上履きを隠したり、今考えれば馬鹿馬鹿しいレベルのやり方だったと思うが、
やられた本人はたまったものじゃないだろう。
しかし彼は常に淡々とした無表情を崩さず、いじめる側は余計にいじめをエスカレートさせた。
直接手出しをしていなかったサンジも、無色透明な視線の意味がわからなくてイライラしていた。
このいじめのクライマックスは、二学期の終業式の日だった。
大掃除を終えて、誰もいなくなった教室で、いつものメンバーで彼を囲んでいた。
教室はヒーターが暖めた空気がこもりきりで、彼になら何をしてもいいという気分を増長させた。
サンジは他の生徒の後ろで机の上に座って、ロッカーに寄りかかってうなだれている彼を見ていた。
唇を引き結んだ無表情のままで、体をぐにゃりとさせていた。
「気持ち悪いんだよホモ野郎」
「もう学校来んなよ」
罵声を浴びせ、彼を小突きまわしていると、いつもは黙ったままの彼が何か言うのが聞こえた。
「ああ?今こいつ何か言ったか?」
「聞こえねーよ」
彼はもう一度小さな声を出した。
どうやら『ホモじゃない』と言ったらしかった。
「ホモじゃないぃ?」
語尾を伸ばして復唱した声に、周りの連中がニヤニヤと笑った。
「どこがホモじゃねーんだよ、毎晩サンジでオナニーしてんだろ」
「四六時中ジロジロ見られてサンジだって迷惑してんだよ」
「何考えて抜くの?女みたいにやれると思ってるわけ?」
一人が女のように卑猥な声を上げる真似をしてみせると、他のやつらも追従する。
そしてゲラゲラと笑い転げた。
サンジは彼らを一瞥すると、机を降りた。
「ホモじゃないなら証拠を見せろよ」
見ているだけでめったに手も口も出さないサンジが、珍しく行動を起こしたので、仲間たちもはっとしたようだった。
顔を見合わせ、それから口元に笑みを浮かべる。
彼も顔を上げた。
生意気にも、何をされるのかと警戒している顔で、それがまたサンジの胸に新たな苛立ちを芽吹かせる。
「ズボン脱がせ」
彼が青ざめて抵抗しかけるのを、左右から三人がかりで押さえつけ、残りの一人がベルトをはずし、
ズボンを足元まで引きずり下ろした。
シャツの裾の向こうに、自分についているのと同じ形の性器が見え隠れする。
「うわっでっか〜」
「似合わない立派なモン持ってるじゃんか」
サンジは彼に近づくと、思いきり股間にぶらさがっているものをつかんだ。
「うわっ素手でいったよこの人」
「サンちゃんダイタ〜ン」
いつもとは違う趣向の悪ふざけに戸惑っていた周囲も、今やノリノリである。
ペニスを握られている彼一人が、驚愕したように震えている。
他人の性器なんて気持ち悪いだけだ。
けど、何をしても表情を変えることのない彼が息を呑んだのに溜飲が下がる。
「ホモじゃない、なんて言ってさ、俺にこすられてイッたらどう言い訳すんの?」
サンジはゆっくりと手を動かした。
自分で自分を慰めるときと同じ要領で、それよりもずっと乱暴に力を込めた。
あっという間に彼のペニスは固くなり、ほんの数回、サンジが手を動かしただけであっという間に射精した。
彼の濁った体液が飛び散って、サンジの手を汚した。
サンジは一瞬、何が起こったのかわからなかった。
しかし次の瞬間爆発的に仲間たちが笑い始めたので、サンジも同調した。
「きったねぇ〜!!」
「ほんとにイくとかありえねえ」
彼は下を向いて泣いていた。
はじめてのことだった。
床には白濁と、それから透明な涙がしみを作っていた。
ホモじゃない、ホモじゃないと、すすり泣く声で繰り返すのが聞こえていた。
サンジは笑いながらも、自分の笑い声が乾ききっているのが仲間に悟られないかと不安だった。
首の後ろが嫌な感じに冷たい。
早く手を洗いたくて仕方がなかった。
廊下の遠くのほうから足音が聞こえてきたので、サンジたちは彼を置き去りにして教室を飛び出した。
教師にでも見つかったらことだ。
教室から走り去ったあと、サンジは水道で何度も手を洗った。
石鹸をすり減らして、何度も何度も手を洗った。
そのうちに冷たい水で指先が痛くなったけれども、それでも繰り返し洗った。
胸の奥に灰色のもやもやが溜まっていく、それはどんなに手を洗っても流れていくことはない。
それきり、彼は学校に来なくなった。
冬休みの間に必死で考えた諸々の謝罪の言葉は、サンジの口から発せられることはなかった。
2009/09/20