白色の終焉









真っ白な部屋。
窓はない。
どこかともなく差し込んでいる、やわらかい光に照らされている。
見上げると、白色が続いていくばかりで、天井が見えない。
あたたかくおだやかで、どこか不自然で、不気味だった。
気がついたらサンジはその部屋にいたのだった。





「よく来たな」
声をかける者があった。
短く切りそろえた白髪、皺だらけの顔、少し曲がった腰。
左耳に、そこだけこの世界の落ち着いた色調から浮いた様子の、妙にぎらぎらと光るピアスが3つ。
ピアスが3つ。
「・・・・・・ゾロ?」
彼はゆっくりと頷き、頬を緩めた。
口元の皺が深くたたみこまれる。
その微笑みに、サンジの背筋が凍る。
呼吸が浅くなる。
こんなのは、おかしい。
ここはどこだ。





へにゃりと床に腰をつけたまま、怯えた目つきでゾロを見上げるサンジに、
年老いた彼は冷めた眼差しを向けた。
「落ち着けよ」
ぞんざいな口調は変わらない。
ただ、声が小さく、細い。
サンジにかけられるゾロの声といえばほとんどいつも怒鳴りつけるような調子なのに、
今は注意しなくては聞きおとしてしまいそうだ。
「・・・ここは、」
「お前の望んだ世界だ」
老人はなんでもないことのように言う。
望んだ世界?
とんでもない。
おれが何を望んだっていうんだ。





「お前、さっきまで何をしていた?」
問われて必死で思いだす。
「料理を、して、た・・・」
確かさっきまでは、そう、船の全員分の夕飯の支度をしていた。
丸窓からゾロがトレーニングをしているのが見えた。
ゾロはこちらをちらりとも見ないけれど、サンジは手を動かす合間に幾度となくゾロを見ていた。
煙草を唇から取り去り吐き出す息が、重たくもあまったるかった。
それだけだ。
いつものことだ。





「その後は?」
「あと?」
「覚えてないのか?」
しわくちゃの目元がきりきりとつり上がる。
瞬時に老人特有の、ともすれば鈍さとも言われうるおだやさが消える。
サンジがよく知っている、いつもとなんら変わらないゾロの目だ。
容貌が衰えていても変わらない。
その目は怒りに満ちている。
ただひとつ違うのは、無気力のにじむ弱々しい声を絞ったことだ。
もうすでに諦めてしまっているなにかについて、それでも再び怒っているような。





「おれは覚えてるぜ?何年、何十年経ったって」
ゾロの言っている意味がわからなかった。
表情からそれを読んでか、ゾロはふと怒りをおさめ、何も読み取れない表情になった。





それからしわがれてかすれた声で言った。
こらえていたものがこぼれおちるような声だった。
「そのあと、お前死んだんだよ」





死?





お前は死んだんだ。
敵船が来て、おれがへましたときに。
おれの目の前で、おれをかばって死んだ。
そんなことされたくなかった。
そんなことおれは望んじゃいなかった。
だけどそれがお前の望みだったんだろう?
それは叶った。
代わりにお前は、おれをひとりにしたんだ。





白い部屋の中、年老いたいとしいひとが、声もなく泣いている。
耳のピアスはサンジをとがめるように不気味に光り、触れあってはほんのわずかな金属音を立てる。
やせてとがった骨が突きだしている肩が震えているのを、サンジはじっと見つめることしかできなかった。
ゾロは白い部屋の中で、髪の毛の先からゆっくりと空気に溶けて、白く消えてしまいそうに見えた。





たとえばゾロをかばって死んで。
彼をひとりにすることになったら、それを悔やまないと言えば嘘になる。
でも命を棄てても彼を守りたいとおもうのも確かだ。
自分の中の矛盾に、今さら恐気が走る。
あまりにも傲慢で短慮だ。





はっと目がひらいて、サンジは包丁を持ってキッチンに立っていた。
丸窓の向こうに、ゾロが腕立て伏せをして、きらきらしい汗を飛ばしているのが見える。
なんら変わらない、いつもの情景だ。
白い部屋は、夢?
あの白髪の、かなしい、ちいさくなってしまったゾロは。





「敵船だー!!」
見張り台から、ウソップの渾身の叫び声が聞こえる。
「まかせろ!」
「お宝はみんな私の物だからね!」
ルフィの声、ナミの声、それにゾロの嬉々として闘いをはじめようという気合いの咆哮が聞こえる。
ゾロ。
扉を蹴り開けようとしたサンジはひやりとした。
白い部屋にひとりぼっちの老人がまぶたにうかぶ。





もしも、ゾロが死の危機に瀕したときは、命を張ってでも彼を守らずにいられないだろう。
けれどもいとしいひとが孤独に年老いてゆく姿は、想うにとてもかなしい。
煙草に火をつける。
大きく吸い込み、肺の底から吐きだす。
知ったことか。
サンジは甲板に飛び出した。