そうして続いた苦悶の日々も









「ただいま」
「おかえりなさい」
ゾロが玄関をくぐると、間髪いれずにサンジの声がした。
いつもどおりの光景。
奥からは揚げ物のいいにおいが漂っている。
「夕飯何?」
スニーカーを脱ぎながら尋ねる。
いつの間にか右足の靴紐が団子結びになってしまっていて脱げないので、
屈んで解きにかかった。
「てんぷらとかはさみ揚げとか。こないだ食いたいって言ってただろ」
返事をしてから気付いたサンジがゾロの足元に回りこんでしゃがみ、
器用な指先で解いていく。
ゾロの血の気がすっとひくようだった。
「固ぇな」
「・・・悪ィ」
マンションのさして広くない玄関で男が二人身を縮めているのは滑稽だなあとか、
必死でちがうふうに思考をめぐらせた。
足元の黄色い頭と、その隙間から白くて長くて節くれだった指をじっと見つめていた。
目をそらしたいくせに目が離せなかった。
距離の近さに怯えていた。
「ほどけた」
達成感に微笑をもらして、サンジはキッチンへとスカートをひるがえす。
その後ろ姿を目で追って、いい加減、あのメイド服もなんとかしねぇとな、とぼんやり思いながらも、
聞こえないように長いながいため息を吐いた。
サンジはゾロのメイドだ。


はじめてゾロがサンジと会ったのは三年前だ。
ミホークに連れられてやってきた金髪の少年は、まっすぐにゾロを見て、
今日からメイドになります、サンジです、と言った。
綺麗な少年だった。
白くて華奢な体にはすでに他と同じ、襟の高い紺のワンピースに白いエプロン、
それにハイソックスというメイドの出で立ちに包まれていた。
その姿をはじめ見たときは女の子だと思ったから自分の間違いに気付いた瞬間動揺したが、
後見人であるミホークが意味ありげな微笑を浮かべてゾロの方を見たので
その表情をすぐに顔からひっこめた。
ミホークが去って、ばかでかいミホークの屋敷のだだっぴろいゾロの部屋に二人だけにされて、
何を言っていいのかわからず窓の外に目をやると、庭に白い梅の花が咲いていた。
「・・・歳は?」
いきなり声を掛けられてサンジはびくっと体を震わせた。
彼もまた、何を言っていいものかと思案に暮れていたのだ。
「えっと・・・あ、14」
「14?義務教育も終わってねぇのか」
義務教育も終わっていないやつを住み込みで雇うのには少々問題があるだろう、
ミホークは何を考えているんだと思ったら語気が荒くなってしまった。
しまった、ガキだしビビるか?と瞬時に焦ったがサンジは平気そうにしていた。
「中学は卒業した。うちの学校、卒業式早いんだ。それにおれ、早生まれだから」
中学を卒業したという割には小柄だった。
まあ、これからでっかくなるのだろう。
自分もそうではなかったが、高校時代、クラスにはそういうやつがごろごろいた。
「ふぅん、いつ?」
「え?」
「誕生日」
「えーと・・・あ、明日」
「そうか。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
唐突な祝いの言葉に面食らったようにお礼を口にし、ついでにサンジは頭も下げた。
黄色い髪の毛が動くと、窓からの光できらきらするのも動くからとても綺麗だ。
「ご主人様はおいくつですか?」
明らかに使い慣れていない、使わねばならないことを今思い出したような調子の敬語で尋ねられて、
なんともいえない気持ちになった。
まだ未成熟のこんな少年に女物のメイド服など着せ、ご主人様と呼ばせる。
しかもその少年の顔がなまじ整っていたりするのだ、悪趣味の一言につきる。
本気でミホークを呪いたくなった。
「ご主人様って言うのはやめろ。ゾロでいい」
「でも」
「あと敬語もナシだ。その方がおれも楽でいい」
「・・・・・・」
「返事は」
「わかった」
それでもサンジはまだ腑に落ちないといった顔をしていた。
「おれは18だ。4月から大学に行くんで引っ越す。
たぶんお前を連れていくことになるだろうから、そのつもりで」
それからサンジはゾロの専属メイドとしてよく働いた。
2週間ほどしかいなかった屋敷で全てを覚え、引越しの際の荷造り、荷解きの要領も良かった。
4月にマンションに越してからはじめてサンジの手料理を食べたのだが、
それがなにしろ美味かった。
ゾロはサンジのことを気に入っていたし、
サンジもまたゾロのメイドである生活を楽しんでいるようであった。


昼休みに大学の研究室でサンジ手製の弁当を広げていると、
一年先輩のエースがやってきた。
もっともエースは留年しているのでゾロと同じ三年生であるのだが。
「おっ、相変わらず素晴らしい愛妻弁当ですこと」
「違ェよバカ」
昨日の夕飯のおかずでもあったはすのはさみ揚げを摘もうとするエースの手を、
ゾロは容赦なくひっぱたいた。
「んまっ痛い」
大袈裟にはたかれた手を押さえて、エースは笑っている。
「ところで今日暇?」
「なんで」
箸を動かす手は止めない。
「ここんとこおれご無沙汰だから、相手してもらいたいなーと思って」
「ひとりでブッこいてろ」
「そう冷たいこと言わずにさ〜。おまえだって同じだろ?」
「まあな」
エースとゾロはいわゆるセックスフレンドの間柄である。
高校時代からの先輩後輩の関係で、そのころ自分の性癖を知り始めたゾロの戸惑いを
すくいあげてくれたのがエースだった。
エースはバイであったがひどくゾロのことを気に入っていて、
二人は性欲処理のためだけのセックスを何度もしていた。
エースの高校卒業によって一度は途切れたが、
大学で思いがけず再会してからまた修復された関係なのだ。
もっともゾロは無自覚だが相当の面食いなので、エースに本気になるようなことは全くなかった。
「最近どうなのよ、メイドくんは」
「どうもしねぇよ」
「でもありゃーどんどん格好よくなるでしょう。そろそろ限界なんじゃねえの?」
「かもな」
エースとサンジは一度だけ顔を合わせたことがある。
去年、雨の日に、いいと言うのにサンジが駅まで傘を持って迎えに来たとき、
たまたまエースが一緒であった。
そのときのサンジはもちろん外出のためにメイド服ではない私服を着ていて、
ゾロですら見るのが珍しいその姿をエースは見ていたのだ。
そして後日、将来有望との感想を述べ、散々にゾロをからかった。
それ以上は話さないというポーズを決め込んだゾロに苦笑いを残し、エースは行ってしまった。
『そろそろ限界なんじゃねぇの?』
空になった弁当箱を前に、ゾロは頭を抱えた。


「おかえりなさい」
「ただいま」
「今日は早かったな。ちょっと待って、まだ夕飯の支度が終わってねぇんだ」
サンジはゾロのメイドをしながら、バラティエというレストランのコックをしている。
ミホークの屋敷からマンションに越してきたのと同時期に見習いとして入って、
今ではすっかり店の主戦力の一人となっているそうだ。
そんなサンジのつくる食事はもちろん美味しい。
サンジはゾロが出かけた後家を出て徒歩5分のバラティエに出勤し、
ランチタイムに腕をふるい、ゾロが帰ってくる前には家にもどってゾロの夕食を作るのだ。
その合間に家事やゾロの世話をするのだから、サンジはなかなか忙しい。
それなのに文句ひとつ言わずに、いや言うことは言ったが、サンジは全てをこなしてる。
自分でやらせておきながらゾロは、すげえな、と思う。

サンジは日々大人になっている。
否、男になっている。
ゾロはがサンジと出会ったとき、サンジはまだ明らかに少年であったから、
たった数年のうちのその急激な変化に戸惑うばかりだ。
メイドになったばかりのころは細いばかりであった喉には喉仏が自己主張しているし、
華奢だった体には均等に筋肉がついている。
白い肌や黄色い髪はそのまま変わっていないが、やわらかであった指の感触も、
今ではすっかり固く締まった、そして仕事に慣れた男のそれになっているのだろう。
ワンピースと同色のハイソックスの下には、すっかり脛毛が生えてしまっていることも、
ゾロは知っている。
いつもメイド服を着ている彼を見て、なるべく意識しないようにしている。
男になった彼を感じるたびに、
歓喜と憂いといとしさと淋しさとときめきと切なさと、自己嫌悪がいっぺんに襲ってくる。
だからはじめにミホークの指示した珍妙な格好をいつまでも黙認し、
今もサンジの成長を押し隠し続けているのだ。
けれどいつまでもそんなことをさせているわけにはいかない。
自分の気持ちにも、正面から、向き合わなければならない。

サンジが食卓にきつねうどんのどんぶりと箸を並べて、
「ゾロ、メシにするよ」
「あぁ」
ミホークの手配で部屋に置かれているテーブル二人で使うにはいささか大きい。
けれど最近では大きくて距離がとれるからよかった、落ち着いて食える、
などとゾロは思ってしまうのだ。
もっと年端のいかない頃ならまだしも、今ゾロは、サンジの男への成長を目の当たりにして、
自分でコントロールしきれない感情に苛まされている。
サンジのためにも自分のためにも、そろそろ決着をつけるべきだ。
「今日またなんか寒いから、こういうの食いたいだろうと思って」
「ん、美味い」

ゾロはひとつの決心をしていた。





「おい、まだ起きてるか?」
三月一日深夜。
ゾロはサンジの部屋のドアをノックした。
ゾロがサンジの部屋を訪ねることなんかめったにないから、サンジはびっくりして飛び起きた。
「はいっ」
ベッドに横になってぼんやりとしているままでまだ寝ていなかったし着替えてもいなかった。
あわててドアを開けると、顔面に青い包みを押し付けられた。
「誕生日おめでとう、サンジ」
包みを受け取って視界を開くと、ゾロの笑顔があった。
だけどその笑顔が淋しそうに見えるのは、サンジがまだぼうっとしている所為なのか。
時計を見るとちょうど12時だった。
三月二日。
サンジの誕生日。
ゾロはサンジの部屋にずかずかと入り込むと、ベッドに腰を下ろした。
「あんなひょろくて頼りねぇガキがもう19か。早いもんだな。でかくなりやがって」
「もうすぐゾロのことも追い越すぜ」
「どうだか。もうそろそろ身長伸びるのは止まっただろ」
「あと一センチだ。気合で伸ばす」
それで伸びるのかよ、と笑ってから、ゾロは急に真剣な顔になった。
「それ、着替えて来い。いいかげんもうそんな格好もしてられねぇだろ」
サンジの着ているメイド服を指差した。
それからごろ、とサンジのベッドに横になりながら、
「その包み、新しいメイドの制服だから」
「あ、・・・ありがとう」
着替えて来いといわれた手前、外で着替えるべきじゃないのかとサンジは思ったが、
どうせ男同士だし、とその場でワンピースのチャックを下ろした。
ゾロはサンジのベッドをすっかり占領して、枕に顔をうずめている。
目を瞑って衣擦れの音を聞きながら、もうすっかり覚悟はしたはずなのに、
いまだ臆病な自分を叱咤した。
枕からはもちろん、サンジの匂いがして、
自分をそこから引き剥がす前のささやかな至福だと思えばどこか心強かった。
「ゾロ、着た」
子供が母親にかけるような声がしたので、ゾロはゆっくりと体を持ち上げ、サンジを見た。

嫌味なほどの二枚目が、そこにいた。

青いストライプのシャツに金ボタンの黒スーツ、ネクタイも黒、
今は履いていないがそろいの革靴も黒で。
黒いスーツには金髪が良く栄えた。
シャツの色は何にも考えずに選んだが、見てみればサンジの目の色とそっくりだった。
「これのつけ方がわかんねぇ」
と、サンジはカフスボタンを差し出した。
袖口を出させてつけてやる。
「靴も履いてみろよ」
これで完成だ。
最上級のいい男がここにいる。
ゾロがキスしたいと思わずにはいられないほどの。


「・・・ゾロ?どうかした?」
ゾロは床にしゃがみこんで俯いてしまった。
「ゾロ?」
「似合ってるぜ」
「ほんと?」
着慣れない姿を自分で見下ろしながら、サンジは嬉しそうだ。

「あぁ・・・お前格好良過ぎ・・・」



さよなら、おれの可愛いメイド。
目の前にいるやつはすっかり男になってしまっていて、もうすぐおれのもとを離れていくだろう。


さよなら。







サンちゃんのメイド服攻が見たいんです。
それにしても終わりが唐突ですね。
だれか続き書いてくれないかなー(自分で書け