遠からぬ未来に、あなたは
女学校からの帰り道、友人たちと別れた後で、サンジに会った。
「今からちょっと、平気?」
とまどいながら小さく首を縦に振ったゾロの手をぐいと掴んで、サンジは歩き出した。
数日前、結局サンジもゾロも水仙の前にたたずんでひとことも交わすことなく日が沈んでしまい、
買い物帰りとみえる下女にどうなすったんです、と声をかけられて我にかえった。
かえる、とつぶやいて家路に向かうゾロを、サンジはとめなかったし、さよならとも言わなかった。
だまっていつまでもゾロのうしろ姿を見送っているのを背中に感じて、
ゾロはなんだか居心地悪いまま歩調をはやめて曲がり角にすがたを隠した。
会えてよかったとおもう反面、大人になってしまった彼がさみしく、
そしてそれ以上に彼という存在がなつかしかった。
その日の夜も、次の日も、その次の日も、ゾロはぼうっとすごした。
今日もぼうっとしていた。
だからいま、数日前とおんなじようにサンジに手をつかまれて、はっとした。
つかまれたのと逆の腕で、しっかりと教科書を包んだふろしきを抱えなおした。
サンジの足どりは軽く、さばかれる袴の裾ですら気持ちよく揺れている。
それに対して自分は草履が上手に地面をふんでくれなくて、もつれてしまいそうだ。
「あ・・・の、」
自分でもへんだとおもう、こんなよそよそしい声音は。
だけどこういうのしか出てきてくれないのだ。
「なに?」
この前よりもずっと余裕のあるような笑顔でサンジは応えてくる。
ますますゾロが舌足らずになってしまうような。
「どこ、行くの」
「ああ・・・」
ふふ、と笑うから、ゾロは顔を上げた。
ちょっと秘密を明かそうか、どうしようか、たくらむいたずらな表情。
新しい遊びを開発したとき、あのころのサンジはいつもこんな顔をした。
「ゾロさ、氷菓子、食べたことある?」
「・・・・・・・・・ない・・・」
「じゃあ、行こう」
帰りが遅かったらばあやが心配するかもしれない、とちらと頭をかすめたことも、すぐに忘れてしまった。
すっかり変わってしまったサンジと、あのころのように、また手を繋げることが、
うれしくてたまらないと勝手によろこぶ心を、止めることなど出来なかった。
まだそのことに、ゾロは気づいていない。
サンジに連れられてパーラーに入るまで、やっぱりまたふたりはひとことも口をきかなかった。
口を開いても、あぁ、とかうー、とか意味のない言葉しかでてこない気がして、
ゾロはきゅっとくちびるを結んでいた。
はじめて入る場所がめずらしくてゾロがきょろきょろしている間に、サンジは既に注文を終えたようだ。
「こういうところ来るの、はじめてだった?」
ゾロははっとして身を縮めた。
サンジはやっぱり笑っている。
なんだか気恥ずかしくて、まばたきで返事をした。
ハイカラ、ということばを満喫しているみたいな人で満たされた店だ。
洋装のひともいれば、学生ふうのひともいる。
猫脚の椅子というのも落ち着かない。
やがて硝子の器に盛られた氷菓子がふたりの運ばれてきた。
店員の着物の柄はしゃれていて、しぐさもてきぱきとしている。
はじめてみる食べ物を銀のスプーンで口に運ぶ。
「つめたい」
「うん、氷菓子だから」
添えられている板みたいなのも食べてみる。
ウェハースというのだ、とサンジが教えてくれた。
軽くてさくさくとして不思議なかんじだ。
「おいしい?」
「甘い」
「気に入らない?」
首を振る。
食べ物がある間はしゃべらないことも許されるとゾロが安心していたというのに、
サンジは絶え間なくせっせと話しかけてくる。
学校のこと、家族のこと、庭の花のこと、近所のこどものこと。
話したいのにうまく話せないから、こころにぽつりぽつりとことばのカルスみたいなのが積もってゆく。
逃げ出したいちりちりとした気持ちがつのる。
硝子の器の中に、乳白色が広がっていき、もたついた沈黙が訪れた。
ゾロがじっと硝子の器の中ばかりのぞきこんでいるのに、サンジはじっとゾロのほうばっかり見ている。
やさしくて深い、かたほうしか姿を見せない瞳で見ている。
「この前は、なんか急にごめんな」
「・・・ううん」
あの、再会の日はとても奇妙な日だった。
すべて昔に戻ったようにサンジはゾロの手をひいたのに、
まるで昔とちがう在り方で、あの庭に立ち、わずかな言葉しかかわさなかった。
不思議な、どうしてかとても濃密な時間だった。
「驚いちゃったんだ、ゾロがあんまりきれいになってるから」
目を開けていられないほど、まぶしい声。
えび茶色の袴をぎゅう、と両手のにぎりこぶしのなかにまきこんだ。
やだ、やだ、そんなこと言われたら。
顔が熱い、もう、上げられない、ああ。
もう、戻れない。
それからサンジは家まで送ってくれた。
まだ日も暮れてないから平気だ、と言ったのに、それじゃ申し訳ないから、とかなんとか丸め込まれた。
門の前で別れるときに、サンジが尋ねた。
「そういえばゾロ、ブーツは履かないの?」
首を振ると、どうして?皆履いてるのに、と言われたから、興味ない、とかえした。
「ふぅん」
サンジが舶来物のブーツを持ってゾロの家にやってきたのは、それからたった3日後のことだ。
必死で断ったのに、編み上げのそれの履き方がわからないゾロの足元に膝をついて、丁寧に履かせてくれた。
サンジの手は震えていた。
ゾロが、泣きそうになりながらありがとう、と言った声も震えていた。
どうしてそんなふうになったのか、ゾロにはわからなかった。
ただ、変わったのはサンジだけではないのだということだけ、ようやく気づいた。
女学生ゾロ続き。