A white lie
淋しい、という言葉はサンジにとっての免罪符だ。
淋しいからと言えば、彼はサンジを許してくれる。
サンジはその彼のやさしさにすがり、ぶらさがり、その上こんなことをおもう。
ひとつくれるのなら全部くれ、やさしさを与えるのならお前のすべてを、と。
サンジはずうずうしく、罰当たりにもそう願うのであった。
「そろそろ帰るな」
ゾロが立ち上がろうとするそのシャツの裾を、サンジは力なくつかんだ。
真っ赤な顔に、アルコールで溶けかけた瞳。
床にはビールやカップ酒、それに年代物のワインのボトルすら空になって転がっている。
サンジはだるい体で座り込んだままゾロを見上げた。
「やだ・・・やだ、ゾロ、帰るな」
「んなこと言ったってお前、終電行っちまうだろ」
シャツを握るサンジの手首を、引き剥がそうとゾロの手がそっとつかむ。
「帰んないで、ゾロ・・・」
のびるゾロのオレンジのシャツ。
困ったように笑うゾロ。
酔っ払いの扱いをしかねている。
「淋しいんだ・・・・・・・・・」
ゾロがほぅ、と溜息をついた。
しかたない、というようにサンジの隣に腰を下ろし、うつむくサンジの髪を撫でる。
そんな言葉を盾に男を引き止めるなんて、ずるくて弱い女だけがすることだ。
だけど今ゾロに傍にいてもらわなければ、さみしさに押しつぶされて死んでしまいそうだ。
いつくしみに満ちたゾロの手は、いつまでもサンジの髪を撫で続け、
子供じみた酔っ払いはそのままゾロに体重をあずけてとろとろとしはじめた。
淋しさが先にあったのか、それとも人肌が先にあったのか、よくわからない。
恋人同士、という関係を持ってもおかしくない年頃になってから今まで、
サンジは女の子を切らしたことなんかなかった。
それがここ数ヶ月、どういうわけか、その場所が開きっぱなしだ。
サンジの心の中、その空洞を淋しさの風が吹き抜ける。
冷たさを乗り越えてぬくもりをくれるはずの誰かはそこにはおらず、淋しさはつのるばかりだ。
元々自分は淋しさを持って生まれ、それを埋めるために女の子を彼女と呼んで一緒にいたのか、
それともいつでも女の子といたのにそれがいない今淋しさが生まれたのか。
そんな疑問すら抱くくらい、サンジは淋しさを感じていた。
淋しさを埋める場所にいて欲しいひとがたった一人いた。
誰でもいいふりをしてきたけど、誰でもいいはずがない。
本当はそのひとじゃないとだめだ。
その名をロロノア・ゾロという。
鋭い瞳の男だ。
だけどときどき、慈悲深い聖母のような目をするのを知っている。
サンジも男で、ゾロも男だ。
ゾロにただ淋しさを埋めて欲しいと乞うのは難しすぎる。
『彼女がいないから、その代わりに。』
不細工に歪められた嘘なのに、サンジを女好きと信じ込んでいるゾロには、
真実よりも真実らしく受け取られることは間違いなかった。
事実、そのとおりになった。
そんな自分が、たまらなくくやしかったけれど、
なんでもいいから彼のぬくもりが欲しくてたまらなかった。
それさえあればいいと、そのときは思った。
それだけで済むはずがないのに。
同じようなことが何度繰り返されただろう。
淋しい淋しいと訴えるサンジと酒を飲み、サンジのうちに泊まって、サンジの髪に触れて。
理由のない強大な淋しさならゾロも経験がある。
そんなときは誰でもいいからそばに、と願うものだ。
今日もまた、居酒屋をはしごしてサンジの家になだれ込んで今に至る。
ゾロが気をつけて酒量を調節してやったから、今夜のサンジはさほど酔ってはいないはずだ。
それでもサンジひとりではちゃんと立てなくて、ゾロが支えてやっている。
「ゾロー・・・」
甘えるサンジは子供のようだ。
ふうふうと酒くさい息が部屋の空気を換えてゆく。
夜はざわつきを飲み込んで静かだ。
「もう寝るか?」
「んー・・・・・・」
サンジはかろうじて自力で、ずるずるとベッドにのぼる。
ぐて、と横になっただらしないからだの上に薄いタオルケットをかけてやる。
「まだ寝ないー・・・・・・」
自分でベッドにまであがったくせに。
ゾロが笑うと必死でまぶたを持ち上げようと苦心しながらも、サンジは首を振った。
その表情は母親にべったりの駄々っ子そのものだ。
「風呂借りるぜ」
「んー」
サンジの呼吸がおとなしくなっていくのを背中で聞きながら、ゾロは風呂へと向かった。
風呂上りのゾロが髪を拭きながらベッドのサンジの顔を覗き込む。
と、寝ているかと思われたサンジはぱっちり目を開けた。
「なんだ、起きてたのか」
「ゾロ」
部屋の電気は消され、カーテンの隙間からこぼれる街灯の光がゾロの姿をうつしだす。
サンジの目に、ゾロの姿を見せる。
シャワーで洗われたゾロの表情は無防備。
ゾロの肌は火照っている。
触れたくてたまらない。
触れれば、たぶん、そのとき、満たされる。
「いっしょに寝よう?」
「・・・・・・・・・」
淋しさの呪縛から逃れるために。
淋しさを口実にして、あなたに触れるために。
「・・・まだ、淋しいんだ」
ゾロは無言のまま、するりとサンジの隣に横たわった。
ゾロはやさしい。
サンジのシングルベッドは、男二人には狭すぎる。
だからこそ、ぴったりと体がくっついて、そこから何か大切なものがあふれだす気がする。
淋しさを埋めるための大切な何かが。
じわじわと満たされてゆくのを感じる。
同時に、いとしさをこらえるのが辛くなる。
ゾロの背中からは、石鹸の匂いと、その肌の熱の匂いがした。
震えそうになる声は、欲望が芯になってしゃんとした。
「ゾロ」
「・・・・・・・・・」
「もう寝ちゃった・・・?」
「・・・起きてる」
「こっち向いて、ゾロ」
ベッドから転げ落ちないように慎重に体を動かし、ゾロは寝返りをうってサンジと向かい合った。
やさしい光を、ゾロの目がうつしていた。
その光が、切ない。
ひとつくれるのなら全部くれなきゃだめだ。
そのやさしさは、全部欲しいと願うのを許しているわけじゃないのに、それでも欲張りたくなる。
もぞもぞとゾロとの距離を縮める。
おそるおそるゾロの背に右腕をまわす。
背を撫で回しても、ゾロは怒らない。
やさしく笑ったままだ。
足の裏がむずむずして、もっともっととかりたてる。
その右手を、今度はゾロの頬に添えて、親指で下唇をなぞった。
ゾロの唇は水分を含んで強い弾力を持っていた。
自分の唇を重ねた。
ゾロは身じろぎもしない。
そっと目を伏せて、また開いた。
ゾロは、拒まない。
服を脱がせても、そのまま抱いても、ゾロは。
中途半端なやさしさは残酷なだけだ。
やさしさだけでいいと求めたのは自分のくせに、生意気にもそう思う。
この胸の痛みは、苦しさは、切なさは。
すべて自分の責任として背負わねばならないのに、そうするためにはゾロはやさしすぎる。
あの目を見たら、甘えてしまいたくなる。
甘えたりしたらますます自分が引き裂かれるようになるのがわかっているのに。
淋しさの責任は、本当に自分自身だけにあるんだろうか。
ねむれない夜だ。
吐息でさえぶつかる位置で、ゾロが寝息をたてている。
一枚のタオルケットの下に並んだ体は何もまとわず、濡れたままだ。
ついさっきまでつながっていた体だ。
ゾロの体は固くて、開かれていなくて、けれどサンジの指にも声にも従順だった。
はじめての女の子にするよりも丁寧に、彼に触れた。
ただ欲しかったから。
体だけでいいと思った。
思い出すほどに重苦しい甘さが胸を支配する。
それだけで済むはずがなかった。
サンジがつけたしるしで肌を穢したゾロを、きゅうと抱きしめる。
目の前のまぶたは閉じたままで、吐息が乱されることもない。
「こんなの・・・・・・こんなの、辛すぎるよ・・・・・・ゾロ・・・・・・・・・・・・」
どうして許したんだとあなたを責めたい。
後悔に似た、苦みが、サンジを苛む。
やさしさをくれるのならぬくもりを。
体をくれるなら、心を。
欲張りになっていく自分を許さないで、ひとつも与えないで。
裏腹に惑う心を、どうかあなたの手で、癒さないでくれ。
「好き・・・・・・ゾロ」
言葉にすれば、するり、唇のすきまをすべりだし、朝を待つ静かな時間をふるわせた。
日も見えないし、鳥も鳴かない。
ゾロの寝息は規則正しく空気の静止を乱す。
世界で起きているのは自分だけみたいだ。
世界で、こんなに切ないのも自分だけみたいだ。
伝わらない言葉を口にするのは、無意味なことではないけれど、意味のあることでもないだろう。
「好き」
抱きしめたゾロの耳元に唇を寄せてささやく。
こんな簡単な言葉を伝えられないがために自分はこんなに苦しいのか。
世界の、たくさんの人も、同じように淋しさを抱えて、苦しいのだろうか。
はやく目を開けてくれ。
そして、髪を撫でて笑ってくれ。
いや、二度と顔を見せるなと、そう、言ってくれ。
「変な眉毛」
いつの間に起きていたのか。
ゾロの、声だ。
無表情な声。
なにもわからなくて、背筋が凍る。
抱きしめている腕をひっこめることさえできない。
「ゾ・・・」
「全部聞こえてた」
びくり、とサンジの体が揺れる。
腕を引っ込めてゾロの顔をうかがう。
ゾロの鋭い瞳は、斬りつける先を見据えて閃いているように見える。
斬り捨てられてしまいたいのに、ひどく怯える。
「全部聞いてた」
「ゾロ」
「ずっと起きてた」
冷静さを欠いた頭は思考停止。
もう何を考えていいのか、何を願っていいのか、心さえわからない。
ゾロの言葉に身を任せるだけだ。
「おれのことが好きなんだって?」
どう答えるのが最良なのかわからない。
今までならどんなことを言っただろう。
相手がゾロだからわからない。
「おれのことが、好き?」
まだ、朝日も見えていないというのに。
サンジは肯いた。
肯いて、ゾロをしっかりと抱き寄せた。
そうすることしか、方法を知らない。
やっと言ったな。
ずっと待ってた。
おれは、好きでもないやつの淋しさに付き合ってやるほど、お人よしでもないんだよ。
おれも、好きだぜ、サンジ。
聞こえる言葉は嘘か魔法か。
淋しさ以上のものまで埋まるくらいに抱き合った。
今までの全てがいっぺんで流されていくようだった。
抱き合ったままで一緒にカーテン越しの朝日を見た。
鳥が鳴くのも、新聞屋のバイクの音も聞いた。
ゾロはその日、腰が痛くて立てねぇと言って仕事をさぼり、サンジもさぼって、
二人でだらだらと蜜月のような一日を過ごした。
これから淋しいと感じることがあっても、きっとそれはお互いに埋めあえるし、癒しあえる。
世界に自慢したくなるくらいの、幸せとか、やさしさとか、そういうものを感じている。
あなたが傍にいてくれたなら。
全ての嘘も、淋しさも、意味をなくすだろうから。
800hitで朝倉さんに。お題は「サンジとゾロがくっつくまで」でした。
誰かに捧げるというよりかは自分のために書いてしまったので酷く偏った話に。しかも長めで。
可哀想サンジになるはずがあんまりならなくてがっかり。もっとネチネチ書けばよかった。